タイ政治社会の潮流タイ研究の草分け的存在、赤木攻・大阪外国語大学名誉教授による連載コラム(隔週木曜更新) 政変の時節―増す軍同窓の重み―日本で秋風が吹き始めると、なぜかしら、「タイの政情はどうかな」と毎年のように思うのは、私だけではないかもしれない。実際、クーデタを中心とした過去の政変事件を振り返ってみると、多くが9月から11月にかけて生じている。とりわけ、1950年代以降においては、1991年2月に生じた軍警によるチャートチャーイ政権打倒クーデタをのぞけば、成功したクーデタの発生日はほぼ全てがこの時節に集中している。まさに、「政変の時節」である。なぜ、この時節に政変が多いのか。的確な解答はないが、普通に考えられるのは、会計年度が9月に終わり10月に始まるという点である。予算獲得競争が政界内に軋轢を生むこともあるだろうが、最も直接的に政治に影響を及ぼすのは年度末に行なわれる軍や警察などの人事異動である。もうひとつのあやふやな解答としては、クーデタ決行日の決定を請負う著名な占星家たちがこの時節が好きだったのではという類推を用意できるかもしれない。 アピシット政権も、ここにきて正念場に差し掛かっているといえよう。とりわけ、以前このコラムでも取り上げたが、パッチャラワート・ウォンスワン警察長官の後任決定人事がまだくすぶり続けているのは、この人事が単なる人事ではなく、政権内や与党内、さらには軍内部の権力闘争と絡んでいるからと見るのが妥当であろう。9月末に発表された首相付首席秘書官のニポン・プロームパンの辞任の背景にはこの人事問題における対立があるといわれている。首相付首席秘書官のポストは、首相と一心同体的存在で最も信頼されている人物が就任するのが普通であり、ニポン辞任はアピシット政権に大きな衝撃を与えた。また、つい最近アピシットがパッチャラワートを9月に遡って免職懲戒処分を行なう意向を示したようだが、この人事の核心は実兄で国防大臣であるプラウィット・ウォンスワンが現連立政権設立の立役者であり、政界のみならす軍部内においても大きな存在であり、その人脈はきわめて広いところにある。プラウィット自身は辞意を漏らしているといわれているが、彼の辞任は政権崩壊につながるおそれがあるとし、民主党は必至で引き留めているという。このことは、現在でも退役軍人を含む軍部が政治権力構造のなかに相当の重みで陣取っていることを意味しているのではなかろうか。 そのことを示すもうひとつの注目事象は、東北部で依然として人気が高いチャワリット(陸軍大将、元首相)の今月はじめのプア・タイ党への参加である。78歳の老兵が党首候補として政界に再度引き出された背景には、タックシンの新しい戦略を指摘できるであろう。それは、アピシット政権がプレーム枢密院議長およびアヌポン・パオチンダー陸軍司令官を核とする軍界の人脈を支持基盤としていることへの対抗勢力を築くことの必要性をタックシンが痛感したからであろう。その兆候は、元国内治安本部長で知将といわれたパンロップ・ピンマニー大将を党員に迎えたあたりに見えていたが、彼が2006年9月のクーデタの裏情報を提供しタックシン派に有利に働いたことは記憶に新しい。一々名前をあげる余裕はないが、彼の同期生である予科10期生と陸士7期生を中心に数十名の退役軍人をターゲットに入党作戦を展開しており、企業家中心であったプア・タイ党も様変わりする可能性がある。 民主化が進んでいるのは間違いない。国防次官アピチャート・ペンキッティ大将も、最近の記者会見で、軍は中立であり、政治に関与するのは好ましくない、いずれ次官も文民に交代したいと述べた上で、クーデタは時代遅れであり、国家にとってマイナスであると断言している。たしかに、軍そのものが直接政治に関与することが非であることの了解は社会で成立している。しかし、軍の威光は主として退役軍人を通して現実の政治に及び、軍制ないしは士官学校のような軍を取り巻く制度や文化が生んだネポティズムが結びつける利権集団が、政党などの近代的形式をとりながら、政治過程に大きく関与しているのは間違いないところであろう。どうやら、現役の軍に代わって同窓(会)が活躍する傾向が生まれてきているようである。 今週から来週にかけてフアヒンで開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議は、昨年の空港閉鎖以来失われたタイのイメージを回復する絶好の機会と政府は厳戒体制を敷いているようだが、タイ政界は同会議が終了するや否や大きく動き始めるであろう。果たして、今年の「政変の時節」はどのように様子になるのか、気になるところである。 >>この目次トップへ赤木攻氏のプロフィール
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