
「ビューティフル」隣に座った夫人が思わずつぶやいた。9月5日、ロンドンのファームストリート教会で開かれたエイズ・チャリティー・リサイタル。3度目のアンコールにこたえ、川畠さんの奏でるアリアがチャペル内に流れていた。
■常に満席、CDも好調
今、日本で一番注目されている視覚障害のバイオリニスト。日本全国から声がかかり年に50回程コンサートをこなすが、常に満席売り切れである。これまでに出したCDは2回とも10万枚を軽く突破し、それぞれクラシック部門でチャート1位を記録した。
「このインタビューの直前に、次のレコーディングについての電話が日本から入ったばかりです。今回はたくさんの曲を盛り込みたい」と声を弾ませる。
母麗子さんが「紅茶が冷めますよ」と筆者に促すと、川畠さんはさっとポットを持ち上げ「どうぞ」と注いでくれた。「目の障害は誰もが持つ得意、不得意と同じようなものととらえています。最近受けるようになった取材で逆に自分の視覚障害を自覚させられた感じです」。さらりと言ってのける。
■8歳で視力失う
1971年生まれ。8歳の時にスティーブンソン・ジョンソン症候群で視力を失った。「両親は、将来生きてゆくために目が悪くてもできる仕事は何かと考えました。考えた末、そこにあったのがバイオリニストの道だったというわけです」。父はバイオリンの教師でもある。「プロとしての厳しさを知っていますし、またスタートとしては10歳という年齢はぎりぎりだったので、父はずいぶん悩んだ上での決断だったのではないでしょうか」。

小学校4年の1月から、1日8時間、休日は10時間の猛練習が始まる。「仕事から帰った父は風呂にも入らず僕の練習を見てくれました。母は巨大な音符を模造紙に書き、壁は模造紙だらけになりました」。本人の才能と家族ぐるみのサポートがあり、1年余りでヴィエニャフスキーのコンチェルトを弾きこなすようになる。
■父の特訓に耐え
「それまでご飯を食べるように父の与える課題をなんの疑問もなくこなしていましたが、高校進学を前にこのままでいいのだろうかと立ち止まってしまいました」。さらに視力は落ち医者へ行くたび絶望的な気持ちになった。「でも、そのたびに悩み考え、最後には必ずバイオリンを弾く自分がいるのです。結局音楽が好きなんですね」。
■好環境のロンドン
1994年、桐朋学園大学音楽学部を卒業し、同大研究科を経て母とともにロンドンへ渡り英国王立音楽院へ入学。
「ロンドンへ来てとても積極的になりました。自分で考え音を作るスタイルへ変化しました」。

97年に同音楽院を首席で卒業し、98年、日本でソリストとしてデビュー。2000年7月には1901年に建てられた由緒あるウィグモアホールで英国デビューを飾った。
日本のコンサートのための準備期間をロンドンで過ごす。「クラシックが生活に溶け込んでいる環境や、さまざまなバックグラウンドを持つ各国から来た友人達との意見の交流は、自分の音楽に知らず知らずのうちに影響を与えてくれていると思います」。
96年以来パートナーを組んでいるピアニストのダニエルベンさんからも影響を受ける。「彼の演奏は飾り立てた派手さはなく、とても自然なのですが、強いインパクトを与えるのです」。またダニエルベンさんからは「日本人の“D”の発音には“Z”が、“R”には“D”が混ざっているよ」という音楽家らしい指摘も。
「英語の勉強も、日本語にはない音を発見するという点でとても役立ってます」。
■新聞、本をテープで“読む”
「こう言うと語弊があるかもしれませんが」と断った上で「自分自身を、音楽の美しさを表現していきたいですね」。障害を負った生活、厳しいレッスンを通じて培われた心と、自然に溶け込むロンドンでのさまざまな体験が“川畠音楽”を作る。
日課として、新聞記事や本を録音したテープを聞いている。「読みたい本は山ほどありますが、強いて言うなら、偉大な人物の生きざまを描いた人物史を。どんな苦悩をどう解決し、仕事を成し遂げていったのか知りたい」。“川畠音楽”の要素の1つであろう。
コンサートではアンケートをとって感想を聞く。「『とても悲しいことがあったけれど、今日の演奏を聴いて元気が出ました』というコメントがあり、そのときは本当にバイオリンを続けていてよかったと思いました」。
生きるための手段であったバイオリンが、生きる喜びを与えるバイオリンへと変化した。
■乗り越えた試練
「代われるものなら代わってあげたかった」「人間、いざというときは強いわよ。冷静に考え、道を切り開こうと思うものよ」と当時を振り返る母親の麗子さん。きれいごとでは済まされない数々の出来事を乗り越え、「成道が愚痴を言わないタイプでよかったわ」と明るく笑った。
今月3日に大阪で行われたコンサートを皮切りに2年先まで予定がびっしり詰まっている。
別れ際、「頑張ってください」と励ましたつもりが、「あなたも頑張って」と笑顔が返ってきた。
東京都出身29歳
=終わり=
(インタビュー 野本陽子)
