日下清文さん:NECタイ社長自然が好きで、高校時代は生物部、大学時代は登山サークルに所属し海山を巡った。文系学生だったが入社後にコンピューターにのめり込み、2年目には「値引き後でも60万円以上」した「PC9801」を購入。プログラマーの道を歩む。 入社後初めてコンピューターに触る、電子メール……2003/7/1 ![]() ――大学では国際政治学を? 国際政治学のゼミを取り、割とまじめに勉強していました。冷戦時代ですから、米国・ソ連のパワーポリティクスについて、歴史的事実を集めて照らし合わせ、そこから指導者の考えを推察するなどということをしていました。まったくの文系で、コンピューターには入社するまで触ったことがありません。 ――入社のきっかけは? 会社がキャンパスのすぐ横にあって割と親近感があったからです。それと海外に出たいという気持ちがあり、海外に事業展開している会社を希望していました。 80年に入社し海外事業グループ海外業務部の配属となります。当時はパソコンがビジネスの中核になるとは思ってもいませんでした。前年に初の本格的パソコンといわれた「PC8001」が登場したばかりのことです。 入社して3年は海外営業の予算管理を担当しました。そこでコンピューターを使用していたのですが、どうもソフトウェアの使い勝手が悪い。「こんなふうに直してくれ」と注文ばかりしていました。そうすると、そのうち「じゃぁ自分でやってみろ」ということになり、入社4年目に海外関連業務用のソフトウェアを開発する仕事に回されました。 ――1日中コンピューターの前に座っていたのですか? そうでもないんですよ。プログラミングは意外に泥臭い作業でして、ユーザーの話を聞き、作業を観察し、業務を理解することに時間を割きます。 人間の手作業は無駄がないですから非常に参考になるのです。ではなぜコンピューターを使うのかというと、それは人間の単純なミスを防止する点や単純な処理を高速に実行するのに優れているからです。 ――海外出張も多かったのですね 90 年代初めにLAN(構内情報通信網)や電子メールを導入するため海外拠点を回りました。全部で30カ国になります。いつの時代も保守的な人は多いもので、反発も受けました。「メールでは書き手の感情が伝わらない」「インターネットなんて役に立つのか」などと言われたこともあります。日本語でみれるホームページがあまり面白くない首相官邸しかなかったころの話ですから、無理もなかったのですが。 99年の1年間は2000年(Y2K)問題対策で各国を訪れ、やっと日本に落ち着いたのは秋のことです。その半年後にはタイ赴任の話が出まして、2000年9月にタイに赴任しました。 2000年4月に新居に引っ越したばかりです。タイに同行することは妻からは反対されませんでしたが、中学に入学したばかりの息子と転校したばかりの小学校3年の娘からは「せっかく新しい友達ができたばかりなのに」と泣きつかれ、結局単身赴任になりました。 ――この4月の事業再編についてお聞かせください 4月にタイ国内の関連会社を「NECタイ」の1社に統合しました。通信業者向けと一般企業向けに分けて行ってきた業務が似通ってきたため、窓口を一本化して効率化を図るという狙いがあります。 事業も通信機器の生産販売から、ソリューションの提供に力点を移します。顧客の業務をよく理解して、問題点を把握し、最適なハードとソフトを総合的に提供するというサービスですね。同時に他国との連携も深め、「全世界で同じサービスを受けたい」「各国の拠点を同じソフトウェアで結びたい」という要望への対応にも力を入れていきます。 45歳の日下氏の愛読書は航空機事故などを扱う柳田邦男のノンフィクション。事実を1つ1つ丹念に拾い集めて問題発生のプロセスと解決への糸口を探るという柳田の手法は、日下氏が実践してきたことでもある。(聞き手:工藤定朗) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |