浦上秀樹さん:野村貿易シンガポール支店支店長

1957年生まれ、長崎県五島列島出身。山口大学卒。妻と中学生の二男の3人で暮らす。大学生の長男は日本で一人暮らし。週末は得意のソフトボールで汗を流すほか、少年野球も指導する。

最高の立地で事業「採掘」南米鉱山に飛び込み700人の頭に

2006/2/28

浦上秀樹さん

「新規事業のネタを常に探しています。シンガポールは情報収集が簡単にでき、企業の拠点も多く集まっているので話が進めやすい。新事業を作るには最高の立地です」

建設資材から食品、繊維、化学品まで幅広い品目を扱う野村貿易シンガポール支店に赴任して3年。既存事業の拡大だけでなく、今後成長が見込まれる分野の開拓にも常に心をくだいている。

総合商社でも巨大企業だと1つの部門にずっと携わる場合が多いが、浦上さんは石炭、鉄鉱石、環境、運輸、食品など幅広い分野にかかわってきた。

■口説かれたのが縁

野村貿易に入社したのは不思議な縁だった。大学時代はソフトボールに熱中。将来やりたい仕事のイメージは持っていなかった。証券や化粧品の大手企業を数社受けたが、最終面接で失敗したり、気乗りせず入社を辞退したりした。

気がつけば就職活動のピークは終わり。そんな時ふと思い出したのが地元まで来て入社を誘ってくれた野村貿易の幹部だった。昼間から一緒に飲み、「君のような人は大企業に行くんだろうが、行くところがなかったら来て下さい」と言ってくれた。その時は興味がなかったが、背水の陣ですぐに連絡。大阪で即採用された。ちなみに面接を受けた大企業はその後、経営破たんや経営再編に追い込まれた。人生何があるか分からない。

入社後、コンテナ船など扱う運輸部門で3年間、貿易実務に携わった後、石炭部門に移動。入社から6年経った1987年、当時野村貿易がかかわっていたブラジルの鉄鉱石合弁事業への赴任辞令が出た。隣の部署だったとはいえ、これまで未経験の分野。それを突然海外、それも地球の裏側でやることになった。

ただ地理が好きだった子供のころ、なぜかリオデジャネイロにあこがれ、ブラジルは世界で一番行きたい場所の一つだった。その思いがかなった。

■現場主義がモットー

ブラジルではいきなり、現地の大手企業と日系大手製鉄会社が率いる国家プロジェクト、カパネマ鉄鉱山事業の幹部になった。同社は鉱山採掘だけでなく、輸送路確保のための道路建設から労働者の住宅建設までのインフラ整備を一貫して手掛けていた。ここで約700人の現地スタッフを統括。人事、労務、購買、資材管理までをこなした。ブラジル人幹部とも、最初は在庫処理などをめぐり意見が対立。だがこのままではいけないと思い、信頼関係確立に奔走。ポルトガル語の習得にも力を入れた。その後は垣根が取れ、コミュニケーションが円滑に進むようになった。今でも「本当に大切なことは現場にある」という思いは変わらない。

約10 年のブラジル滞在を経て日本に帰国。引き続き鉄鉱石などを扱う鉱産品部門に在籍。東南アジアで溶鉱炉を持つ製鉄会社ができるという話があり、ここに売り込む計画を立てたが、97年のアジア通貨危機で、話が立ち消えになったこともあった。その後は新規事業を専門に開発する部署で、水処理など環境関連事業の開拓に没頭した。

そしてシンガポール赴任。事業立ち上げに必要な幅広い経験を重ねてきた今、アジア進出を狙う日本の中小企業の業務拡大をサポートしたいという思いが強い。(シンガポール編集部・清水美雪)

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