野村重夫さん:SANYO Energy Batam社長シンガポールの対岸、バタム。インドネシアの島だが、立地条件と税優遇制度で日系企業が50数社操業する。二次電池とその応用商品を製造するこの会社は、同社淡路島工場と深いつながりがある。商品開発の主が今、バタムでその夢を紡いでいる。 商品開発の夢追い 島から島へ2003/7/15 ![]() ここで生産しているのは、リチウムイオン電池パックと電池関連商品の懐中電灯、電動シェーバー、電動歯ブラシなどおなじみの製品である。 まず会社説明から。「三洋電機の4つの企業グループの内のコンポーネント企業グループの中のひとつ、モバイルエナジーカンパニーの傘下にあるのが、バタムの会社。シンガポールにある会社はここの販売会社です」92年4月の創業で昨年10周年を迎えた。 電池も色々ある。「カドニカ電池も製造していたが、今年2月までに中国へシフトしました」 携帯電話などで売り上げが伸びているリチウムイオン電池事業は残して、横ばいの素電池を移した。「お客様に近いところで商品を造るわけです」 欧、米、東南アジア、日本の4極体制に中国が加わった。 中国にシフトした電池生産はどうなるのか。「中国に進出している当社の顧客、デル、ノキアなどへ供給しています。大型掃除機などこの種の電池が使われています」カドニカなど環境問題も背後にあるようだが、消費国直結型の生産方式であるという。 売り上げ8,000万米ドル。3分の2が電池部門、マレーシア、タイのシャープ、デルなどに供給。残りの応用商品は日本などへ。 着いた所がまた島だった 「中学卒業まで香川県・小豆島、高松高専の5年間もいわば大きな島。1970年に入社以来の淡路島から2001年4月、バタム島へ来た根っからの島人です」 島から島へ珍しい人生航路である。「創業者の井植家が淡路島です。ニカド電池の工場に配属されました」応用商品の設計で22年。「これらはすべて淡路島で設計したものです」と見せる説明書の写真は、電動ハブラシなど5種類の商品。淡路島時代に自ら開発設計した商品を今、ここで生産している。 バタムとの付き合いには前史があった。92年にバタムに工場が出来るが、ここへ商品を移管するプロジェクトに携わった。金型を自分でメーカーに依頼し、何度もバタムに足を運んだ。海外業務課に異動した後も引き続きバタムにかかわってきた。「だからぜひ来たかった」歴代の社長が電池出身だったが、初めての応用商品出が登場した。 「来た当時は応用商品部門の売り上げが落ちていました」98年に240万台あった商品売り上げが、中国の偽物の横行で 100万台までに急落したという。インド、パキスタン、中東まで荒らされた。さらに新商品がなかったのも響いた。自分の蒔いた淡路島の種がやっと花が咲き、机上に広げた月次売り上げグラフは伸びている。 阪神優勝へ自己の夢乗せ 社員970人。最近、ストをした運転手6人を解雇した。社長の管理が問われる局面だが、当局と相談しながら解決した。「製造管理部長、技術部長、1,000人を抱える労組の支部長を4年、副支部長を4年経験しています」というから労使双方の経験が生きている。 日焼けした顔。土曜2ラウンドに日曜のゴルフ。ハンディー19。それでも同席の片山俊介取締役いわく「社長は頭脳、私は運動能力」。淡路島コンビの2人。かつて社の軟式野球部エース片山氏、「1塁が社長だったが、うまくなかった」。 社有のバンガローで単身生活。朝6時15分からのNHKドラマを見て、7時15分には出社、夜10時には就寝という。 「お聞きになりましたか。華麗な系譜を」と片山さん。 夫人は淡路島、長男は東大物理学専攻、大学院博士課程を経て現在、英国の研究所に。専門がノーベル賞受賞の小柴博士と同じ「ニュートリノ」。長女は医大卒で医者を目指す。 商品開発の夢追い人に家族への憂いはない。自分が開発した「傑作」、自動缶切り、ハンドミキサーのように「また傑作を世に送り出したい」。 根っからの“虎きち”。社長室の旗から六甲おろしが聞こえるようだ。ばく進するタイガースの優勝はもうすぐ。54歳の血が騒ぐ。(インタビュー・小森孝光) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |