赤木攻さん:日本学生支援機構参与(東京国際交流館長)大阪外国語大学名誉教授

1944年岡山県生まれ。日本タイ学会会長、日本タイクラブ代表など肩書き多数。『タイの政治文化』(勁草書房)で第2回アジア・太平洋賞特別賞を受賞。根っからのトラキチで、「泰猛虎会」の創立(1985年)に事務局長としてかかわる。現在は同会日本代表。

タイと40年「偶然、これ必然なり」高梁川、淀川、メナム川、人生流れる

2006/12/12

赤木攻さん

東京都目黒区。東大近くの閑静な住宅街にある日本学生支援機構・駒場事務所の一室。タイ研究の第一人者である赤木さんは“赤裸々に”こう語る。

生まれは岡山県新見市(旧・阿哲郡)の山の中。複式学級が実施されていたほど小さな小学校で過ごした。初めて外国語に触れたのは小学校高学年のころ。当時、いとこが聞いていたNHKラジオの基礎英語講座でそのおもしろさに目覚める。

外大を志願したものの、学ぶ言語の選択に悩んだ。欧米には興味なし。ならばと、目の前に学科のある国名を並べ、くじ引き。引き当てたのが「タイ王国」だった。

無事合格したものの、「当時、タイについての知識はゼロ。授業が始まってその文字を見たら、こらあかん……」

だが、当時住んでいた東大阪でタイ人と知り合ったことから一念発起。ある商社からの依頼で通訳を頼まれ、破格のアルバイト代をもらったことも「やる気」に直結した。

大学は卒業したが、タイは未経験のまま。気軽に留学できる時代ではなかった。だが、自分の目で見てみたいとの思いから「今までに一番力を入れた」という手紙をチュラロンコン大学の文学部長あてに送る。あきらめかけていたころ、「いつでも来い」との返事が届いた。

「タイ行きが決まったときは村が大騒ぎで、水杯を交わしましたよ。親せきは、ワニやトカゲしかおらんところになぜ……と嘆いてましたね(笑)」

タイでの生活が終わり、選んだのは勉学の道。ちょうど、大阪外大からタイ語のポストが空いたとの知らせがきた。「アジア研究」という新たな波にも乗った。 1975年からは大学の客員講師として妻と娘とともに再びタイへ。二女はバンコク生まれ。タイ語でクジャクという意味のマユリ(麻由理)と命名した。

いったん帰国するが、85年からタイの日本大使館に研究員として2年。帰国するときにはタイ語で書かれた本が段ボールで100箱。大阪に「赤木コレクション」ができた。最近では、国王自らが書きベストセラーとなったという本を翻訳し、『奇跡の名犬物語』(世界文化社)のタイトルで上梓するなど、精力的な活動は続く。

■いつもそばに川があった

来年は日タイ修好120周年。記念事業の開催ももちろんだが、いずれ「より良いタイ理解のための一冊を書きたい」と赤木さんは語る。そしてもうひとつ。「自分が育った岡山を流れる高梁川、長年暮らした大阪の淀川、第二の故郷とも言えるタイのメナム川(チャオプラヤー川)の3つの川をタイトルにした本もね。実現するかは分かりませんが」との夢も。

「自伝ですか?」との問いにはきっぱり「小説です」。

■赤木家とタイ王室の偶然

インタビューした12月5日はプミポン国王の誕生日だったが、くしくもその日は赤木夫妻の結婚記念日でもあったという。「これも縁ですね」と投げかけると、次から次へと「偶然」が明かされる。8月12日は赤木夫妻の結納の日でありシリキット王妃の誕生日。7月28日は赤木さんの誕生日でありワチラロンコン皇太子の誕生日。極め付きは4月2日。この日は奥さんの誕生日であり、シリントン王女の誕生日でもある。

そしてこう一言。「これはもう運命。『世の中のことは偶然の積み重ね。しかし、これ必然なり』と思うようになりましたよ」(東京編集局・中辻淳一)

>>この目次トップへ

[P  R]

[P  R]

[P  R]

Yahoo!ブックマークに登録Yahoo!ブックマークに登録