廣瀬浩司さん:アイ・ロジスティクス(シンガポール)社長

1963年大阪市生まれ。札幌大学卒。中学2年を頭に3人の息子の父親。「単身赴任は寂しくて嫌」。トレードマークのひげから、付いたあだ名は「マリオ・パパ」。

得意の現地語で心つかむ「目指すは、アジア物流のスペシャリスト」

2007/3/8

廣瀬浩司さん:アイ・ロジスティクス(シンガポール)社長

週末の楽しみは、4歳の三男といっしょにプールで遊ぶこと。

流ちょうなマレー語に英語を混ぜながら、てきぱきと部下に指示を出す。シンガポール人5人が、廣瀬さんの部下だ。昨年10月からはマレーシア法人の取締役も任され、マレーシアでも5人の部下を持つことになった。マレー系、華人系、インド系と民族はさまざま。多民族社会で仕事をすることの難しさを感じながら、それを楽しむ風でもある。

43歳。物流会社アイ・ロジスティクスの海外法人社長の中で最も若い。自分の長所は「明るさと行動力」と言い切る。

■ジャカルタ?どこ

大学では英語を専攻。1988年にアイ・ロジスティクスの前身である航空貨物のニュージャパンエアサービスに入社した。特別な理由はなかったが「海外に行けると思った」。あこがれは米国。海外勤務を希望し、やっと9年目に辞令が下りた時、赴任先がジャカルタと聞いてどの国かも分からなかったという。

社員50人の提携先の現地企業に、日本人としてただ1人配属された。孤軍奮闘しながら、独学でインドネシア語を学び、3カ月で不自由なく会話できるようになった。

時間にルーズな社員をどう律するかでは悩んだ。皆の前で怒鳴れば「恥をかかされた」と恨みを買い、脅しの電話がかかる。1人1人を部屋に呼んで、丁寧に指導することが肝心だ。「先に怒ったら負け、ということを悟りました」

苦労の多いインドネシアの生活はそれでも「むちゃくちゃ楽しかった」。仕事が終われば友達と夜の街に繰り出した。酒の席で顧客を獲得することも多かったという。2年半後に帰国を命じられたが、再赴任を何度も嘆願し、2004年1月に、今度はアイ・ロジスティクスのインドネシア法人の航空部長に就任。社員も100人と多く、意欲に燃えた。

しかし幸か不幸か、8カ月後にシンガポール法人の社長に抜擢され転勤となる。

■奥が深いマレー語

シンガポールに来てから酒の量はめっきり減ったが、インドネシア時代からの体当たりセールスで顧客を増やした。特に海上輸送に力を入れ、航空輸送との比率を2対8から4対6に引き上げた。顧客の8割以上は日系企業で、日本向け、アジア向けの電子部品が多い。今後は現地企業を開拓したいと考えている。

悩みの種は、この国の転職の多さ。社員をいかに楽しく働かせるか、そのためにいかに強いチームワークをつくるか、が課題だ。

マレー語はインドネシア語と変わらないと最初は高をくくっていたが、知れば知るほど奥が深い。毎日ラジオを聞きながら勉強し、お昼は社員といっしょにマレー料理を食べる。幸い、辛いものは大好きだ。

目標は「アジア物流のスペシャリストになること」。古巣のジャカルタに戻って仕事もしたいが、まだ働いたことのないタイにも関心がある。

もしかすると10年後、流ちょうなタイ語で部下を指導する廣瀬さんに出会えるかもしれない。(シンガポール編集部・吉岡由夏)

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