平井康夫さん:富士火災海上保険シンガポール駐在員事務所首席代表着任半年足らずで配った名刺は4箱。憧れの海外勤務でまずは顔を売りまくる。統合激しい保険業界。海外も同じ。情報収集からサービスアシスタントで日系企業の顧客回りが業務だ。海外出張の合間を縫って“ご当地駐在6代目”に登場願った。 赴任半年、配った名刺は4箱2003/8/26 ![]() 「航空会社を4年間担当していて米のテロ、9・11に遭遇しました。テロ担保の航空保険料が急騰。十億円単位の保険料ですよ。それまで経験したことがなかった。これが保険ですよね」 マレーシア、インドネシア、オーストラリアなども毎月2、3回は駆け回る。提携先の地元保険会社AVIVAと同じビルのオフィスに落ち着くのは、久々のような雰囲気。「フロンティング・ビジネスの再保険の実績を前年比で3倍増が目標です」とイスに腰掛けるか否や、直接の営業ではないと断りながら業務の話が始まった。 「大学在学中から社会貢献度の高い企業に就職したかった。英語が生かせる海外での仕事ができれば」という願いは、持って生まれた押しの強さで生かされた。 海外どころか遠く地方へ 90年4月、憧れの会社に入った。が、赴任先は鳥取、その後も岡山。6年間、海外どころか本社からもどんどん遠い地方へ。海外研修制度に何回もトライした。 面接試験で役員が「最後に何か一言」と促し、「私を採用していただければ、会社に損はさせません」と応じたのが効いたのか合格した。後に上司がこんな受け応えは聞いたことがないとあきれていたという。 96年から1年間、米・シカゴ事務所に派遣された。帰国後、国際部のある大阪本社に赴任したが、部が東京に移り上京、東京本社公務営業部で東京都などを担当した。21世紀の新春には航空会社を受け持ち、「国際」の2文字が頭を掠めるようになる。 昨年末、仕事納めの午前中、しかも営業締め切り30分前、部長がやって来た。懐から四つ折りになった紙を渡された。「3月からシンガポールへ行け」。辞令である。会社の海外駐在は全社員7,430人の中のわずか9人。シンガポール、バンコク、上海、香港、ロンドン、デュッセルドルフ、シカゴ、ロサンぜルスの 8カ所しかない。宝くじの確率である。 故郷、岡山の高校時代、近所にアメリカの交換留学生がいた。いつも英語で話しかけていた。広島の私大在学中には、米・ケンタッキーへ2カ月留学した。今やっとその語学が生かせる。舞い上がった。 単身赴任も覚悟していた。帰宅して社内結婚の夫人に告げると「一緒に行きます」。シカゴの研修から帰ってすぐに婚約、サンフランシスコで挙式した。やがて来るであろう国際派の夫のデビューに一も二もなく同行する。 「シスコの挙式にはシカゴから20人も駆けつけてくれました。彼らは研修を終えて帰国する時、オヘア国際空港に見送りに来てくれた連中です。アメリカ国旗を渡され、今にも胴上げされそうでした。その彼らにも海外駐在の約束が果たせた気がしました」 音大出の夫人とピアノ合奏 結婚式のパーティーに呼んだバンドのプロに交じってピアノを演奏したという夫人は音大出身。結婚後に夫人にピアノを習った。日本では2人でジャズピアノの演奏を楽しんでいた。「家内が隣で伴奏してくれますから気持ちがいいですね。家内がいずれシンガポールの子供たちに演奏を教え、交流できればとも思っています。ちょっとしたパーティーで演奏会もやれますよ」 この夏、待望のピアノを購入した。夫人と一緒にピアノの連弾が夜な夜な聞こえてくるかもしれない。 シルキーテリア犬を飼っている。毎朝、30分の散歩が日課。窓から流れるピアノの音。どこかで見た映画のシーンのようだ。 「スリランカを次の市場のターゲットにしたい。できれば在任中に事務所を1カ所増やしたい」――。最後は仕事の話に戻る。人に会わない日は消化不良になるという35歳。まだまだ先が長い。(インタビュー・小森孝光) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |