エコス環境財団技術部長・水野正義さん1954年、愛知県瀬戸市生まれ。妻と2人の子どもを日本に残しての単身赴任歴は長い。仕事に追われる毎日のため休日は自宅でのんびり過ごすことが多いとか。 フィリピンのペンギン博士に「子どもに誇れる生き方選ぶ」2007/10/11
「自分の信念を貫くなんて格好いいもんじゃない。単にわがままを通しているだけですよ」 日系の非政府組織(NGO)エコス環境財団(田島修一事務局長)でフィリピンの環境改善に尽力。環境関連の技術を日本などから持ち込み、政府への働き掛けを行うほか、日系を中心とする企業への環境にかかわる製品の販売を通じ団体の活動資金を捻出(ねんしゅつ)する。最近は、工場などに取り付け電力効率を高めることで、コスト削減と二酸化炭素の排出抑制が狙える節電器の普及に努めている。 ■ジプニー、そしてペンギン 業務に忙殺される毎日、財団に加わってからの5年は、あっという間に過ぎた。これまで、節電器のほかにエンジン洗浄機、液化石油ガス(LPG)対応ジプニーなど、持ち前の発想力と実行力でさまざまな事業を手掛けてきたが、その中でひときわ異彩を放つのが2004年にマニラ首都圏で開催した「ペンギンサミット」。ペンギンをフィリピンに持ち込み、南極のオゾンホール問題とフィリピンの大気汚染を結び付けようと企画したイベントで、事務局長の発案に賛同し実施に乗り出した。 だが、酷寒の地に生息する動物を南国に連れてくることは、想像以上に困難を極めた。手始めに世界各地の動物園にメールを送り調達先を模索したが「真面目に受け取ってくれるところはなかった」。悪戦苦闘の末、日系貿易業者の協力で調達のめどは立ったものの、さらなる難関が待ち構えていた。それはフィリピン政府の許可。「当然ですが、フィリピンにペンギンの輸入に関するガイドラインはありませんでした」。政府機関と辛抱強く折衝を重ね、飼育環境の整備、主治医の帯同、飼育員の養成などを条件にようやく認可を得て、晴れてペンギンが歴史的なフィリピン初上陸を果たしたという。 苦労の甲斐もあり、1日に1,000人以上が訪れるなどイベントは盛況のうちに幕を閉じ「会場に来た人は少しでも環境に対する認識を持ってくれたのでは」と手ごたえも感じた。同時に、ペンギンにとって最適な気温や湿度をはじめ、「フィリピンの魚では、イワシの一種を好んで食べるんですよ」と、すっかりフィリピン随一のペンギン博士に。ただ当の本人は「本当に大変、あんな思いは2度と経験したくないですね」と苦笑い。 ■「満足」を目指す かつては東南アジアに進出する企業に生産管理システムを販売する営業マンだった。各国を回るうち、自分がアジアの環境破壊に少なからず加担しているような意識が芽生えた。ふと「死ぬ時に自分の生き方を子どもたちに誇れるだろうか」と思った。知り合いの誘いに乗り、残りの人生を環境活動にささげることを選んだ。 営業マン時代のノウハウとネットワークを活用し活動を続けるが、フィリピンの環境事情については、「大気汚染防止法の制定以降、高学歴の層の意識は高まっているものの、幅広い層に意識が浸透するにはまだまだ時間が必要」との認識を示す。 限られた時間と資金により「現実には自分のやりたいことの半分も実現できていない」と話すが、「達成感は得られなくても満足感があればいいと思っています」と、「後悔のない人生」を駆け抜ける。 >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |