カルティニ・ムルヤディ法律事務所・柳田茂紀さん

1953年茨城県下館市生まれ。東京外語大学を卒業後、年旧東京銀行入行。76銀行時代はインドネシアで9年半勤務。04〜07年の武蔵精密工業現法勤務を経て昨年5月から現職(マーケティング・アドバイザー)。単身赴任で、獣医学部に通う二男の卒業後に、妻も当地に迎える予定。

債務問題の処理が縁「医者と同じで、いざという時必要に」

2008/3/13

銀行家だった時代から、インドネシア企業の債権回収問題などに携わり、その際に知己を得たのが法曹界歴年の重鎮カルティニ氏だった。インドネシアで外資系企業を顧客に持つ法律事務所は限られる。さらに日本人が常駐するのはごくまれだ。

「法律事務所は医者と同じで問題があるときに必要になる」ため、いざという時に備えたあいさつ回りの日々だ。

■反日暴動にも冷静

インドネシアとの縁は大学時代からだ。1970年代の日本企業の海外進出は、ブラジルとインドネシアが盛んで、海外勤務につながるとインドネシア語を専攻した。

大学3年生の時に初めてインドネシアを旅行する。田中角栄首相(当時)のジャカルタ訪問時に起こった暴動「マラリ事件」の直後だが、反日暴動というよりは国内の権力闘争という認識で、あぶないと思うことはなかったと胆力を感じさせる。

就職時には予想通りの売り手市場で、旧東京銀行に入行。3年後には研修生としてインドネシアへ。国営銀行のスマトラ島4支店で貸付課長と農村を回った。融資は返済する必要がある、ということから教えるような日本とまったく違う銀行の姿を見た。その後に東銀ジャカルタ支店勤務。当時の在留邦人は3,000人。日本人向けのスーパーなどなく、大阪支店時代に結婚した妻を含め、日本人がインドネシア語を使って市場で買い物をすることは一般的だった。

■日本語で相談強み

香港での貸付担当などを経て90年に再びジャカルタ支店に配属。当時のスハルト大統領の親族親族絡み債務返済問題で、担当弁護士を務めたのがカルティニ氏だった。毎週のように会ってアドバイスを受けたという。

同氏は、公証人を務めていた90年までに多くの日系企業の設立などにかかわった。そんな縁で昨年、日本人顧客の担当を務めることになった。

現地パートナーとのトラブルや撤退など、相談が難しいニュアンスを日本語で伝えられることが強み。弁護士への相談は時間単位で料金が発生するが、どういう法律があるかや手続きなどの法人向け問い合わせには無料で応じており、これまでの経験が生きていると感じる。

03年までのジャカルタ副支店長を含めインドネシアとのかかわりは年になった。「大好きなんですね」と言われることが多いが、嫌いな面もあるという。盲目的ではなく、欠点をわかった上で付き合うことが重要と話す。

長いだけに懸念もある。在留邦人とインドネシア人のコミュニュケーションが疎遠になったとみる。言葉が通じなければ疑心暗鬼にもなることから、「簡単な」インドネシア語語の習得をすすめている。

定年後は日本でインドネシア人を支援する活動にも興味がある。どこにいても当地とかかわるとの思いにあふれている。(インドネシア編集部・今野至)

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