森田敦知さん:タイすかいらーく代表取締役副社長42歳。タイ人の奥さんは現在、日本語勉強のため東京の学校に通っている。「タイ人の妻を得て、タイとの縁が切れなくなって初めて、タイを離れてもいいかなとも思うようになりました」と話す。 落ちている10円玉を拾い集めるような努力2003/9/23 ![]() インド哲学とトライアスロンの共通点は、「辞書を引き引き文献を読了したときと、完走しきったときの達成感が似ています」――。焼きそばを焼き、コメを研ぎ、皿を洗って店舗数を160まで増やした。洪水の波を越えブッダの教えを体感した稀有(けう)の人、タイすかいらーく代表取締役副社長の森田敦知さんにお話をお伺いした。 ――子供のころのお話を 生まれは東京・国立で、1970年にすかいらーく1号店が国立に開店したころ食べに行った思い出があります。中学まで肥満児で運動は苦手でした。ただ高校入学直後のテストで順位の低さに衝撃を受け、スポーツでがんばろうとラグビー部に入部しました。柔道部でも鍛え、高校2年時には逆上がりができるようになりました。 大学の専門はインド哲学です。高校のとき西洋哲学の本を読みましたが、どうも神がいなくてはいけないことになっている。しかし合点がいかないので、神のいない仏教につながる勉強をしたいと思いました。パーリ語、サンスクリット語の両方が学べる大学は限られており、その中で北海道大学を選びました。 授業では原典を輪読するので、準備に忙しくバイトをする暇もありませんでした。トライアスロンを始めたのは大学時代です。社会人になってからは大会にも出るようになりました。 ――卒業後は? 一度社会勉強して、30歳くらいで大学に戻る気持ちでした。就職先にレストランを選んだのは、食べることが好きで、人との出会いがあって世界が広がると思ったからです。「なぜ、そんなところに就職するのですか、普通に進学しないのですか」と先生に言われました。卒業生の3割が教職・研究職に就き、3割が僧侶になる世界です。先生には逆に、「インド哲学科から見ればレストランへの就職は普通ではないですが、世間一般から見ればこっちのほうが普通です」と返答し納得していただきました。 入社後、店舗での勤務、商品開発部を経てタイに赴任します。大学でサンスクリット語をまじめに勉強しなかった罪滅ぼしにとタイ語を必死で勉強しました。レタリングの本も買い、自分で絵文字を作って店に貼っていました。 大学時代に勉強したことは今も生きています。バンコクの洪水の中で立ち往生し、大型車に高台までけん引してもらったとき、ブッダ入滅前の説法に出てくる言葉を実感としてつかんだ、という思いがしました。 ――タイすかいらーくは出店数が伸びていますね タイすかいらーくは91年、日本と同じスタイルのファミレスをバンコクに出店しましたが、あまりうまくいかず日本側は撤退も考えました。ただタイ側の出資者が継続を希望し、93年、以前いた日本人を帰して私が1人で来ることになりました。それから日本人は私1人です。 着任後はデパートのフードコートなどへのブース出店に注力してきました。全国で急拡大した外資系ディスカウントストア(DS)出店の波に乗り、現在は北から南まで160店に増えました。すべて直営店です。 タイに来た当初は遊園地で焼きそばを焼くことから始めました。開店時間にスタッフが来なくて、コメを炊いて準備したり、皿洗いもしました。 同じような店を出すので簡単のように見えますが、そうでもない。いかに店舗数を増やすか、落ちている10円玉を拾い集めるような地道な作業が続きます。2店舗出して1店舗閉めるような我慢の時期もありました。 森田さんのデザイン ![]() ――今後の展開は? 今後はコンビニのように展開するミニレストラン形式の店舗を増やす予定です。もう一つの事業の柱として、社内オーナー制度を進めています。自分の努力で収入を増やせるので、がんばる人には報いになる。現在14店舗で採用し、みな売り上げが伸びています。 日本へは報告するくらいで、決定ごとはほぼタイ側で決めています。ただ、日本とまったく違うことをタイで行うなら私がいる必要はない。日本すかいらーくの理念という根幹に、タイにふさわしい枝葉が伸びればいいと思うのです。(聞き手:工藤定朗) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |