目黒雅男さん:オールインドネシア剣道連盟名誉会長書道・絵画師範「海外で最強」の剣士陣を抱えるジャカルタ剣友会のトップを務める目黒雅男さんは、インドネシア人に剣道の精神領域を伝授することの難しさを感じているという。かつての微生物の研究者は、顕微鏡を竹刀に持ち替えてはいるものの、探求の心を伝える姿勢に変わりはない。 菌から剣へ、変化求め続ける探究者2003/10/14 ![]() インドネシアに来たのは4年前と最近のことだ。勤めていた米ハインツが地元のソースメーカー、ABCセントラル・フード・インダストリーを買収し、ハインツ側の技術責任者として派遣された。いまでは自宅を購入。永住を決意しているという。 それまで経験してきた欧米の企業文化に比べ、アジア文化には違和感がない上、混乱していながらいろんな可能性を持っているインドネシアは、「不安も楽しみも多い」と、変化を望む性格にぴったりときたようだ。 59歳の現在は、引退しボランティアで日本人、インドネシア人を問わず、剣道、書道、絵画などを教える。今年の「日本ASEAN交流年」の行事では、書道のデモンストレーションも行った。 剣道では、ジャカルタは日本人の4段以上の有段者が10人と海外でもまれにみる人材が揃っており、指導だけでなく、勝負も楽しめるという。 現在、インドネシア人生徒はジャカルタだけで110人。このほかに盛んな地域では西ジャワ州バンドンがあり、剣道人口は120人。スカルノ初代大統領の母校でもあるバンドン工科大学が来春から、剣道のコースを開講するという。 ただ、バンドンには頻繁に行けないため、現在急ピッチでインドネシア人指導者の育成にあたっている。特に苦労するのは、武道の精神領域を理解してもらうこと。例えば間合いや、「目先の勝ちにこだわらない」との説明を理解させることは至難の技。ただ、「あせっても仕方がない」として、体験から学び取ってもらう心構えだ。 一発必中 終戦の1年前に生まれ、書家だった父親の教えで8歳の時に父の師匠であり自宅近くの心斎橋で教えていた花田峰堂氏に学ぶ。見込まれて、師匠には書家になるものとして教育を受けた。一方で、岸和田などに出向いては当時占領軍総司令部(GHQ)が禁止していた剣道を隠れてやっていたという。 小学校2年生の時、心臓弁膜症を患っていることがわかり、運動は禁止になる。その反動で中学に入ると剣道に打ち込むようになったそうだ。「うらなりのようになるなら、そんな体はいらない」との思いがあったという。 とはいっても、疾病はその後の剣風に影響を与えた。7段教士という段位にあるいまは「一発でしとめる」静の剣。 酵素入り洗剤の開発 農芸科学科応用菌学を学んだ北海道大学時代の恩師はマージャンでは「生徒」。その恩師が世話してくれた就職先は東洋醸造(91年に旭化成と合併)。 ここでは70年初頭、洗剤に酵素を入れる研究に1年〜1年半取り組んだ。弱アルカリ性で生存している細菌のタンパク分解酵素や脂肪分解酵素を強アルカリ性の洗剤に加える作業では、オリジナルの菌探しから始める地道な研究を続けた。同僚からは「そんなことして何になる」とばかにされたという。そんな酵素入り洗剤はいまでは当たり前になっている。 その後再び恩師のすすめで日本コカ・コーラに転職。品質管理からマーケティング部門まで手掛けた。同社のパートナー企業キャンティーン・コーポレーションの日本展開とともに現法へと移り。業務担当取締役まで務めた後、食品に深く関わりたいとの思いから、 49歳でハインツへ再度転職した。 その5年後にはハインツがニュージーランドの食品大手ワッティーズを買収したことを受け、アジア太平洋地域を担当した。翌年のABC買収を受け来イしたという多彩な経歴を持つ。当人は「じっとしていられない性格」と表現する。 家族は、大学時代に知りあった妻と長男長女。(インタビュー・今野至) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |