中医師・針灸師島田久仁子さん第299回・1961年東京都台東区生まれ。短大で栄養学を学ぶ。日本人初の中医師として、地元紙でも大きく報道された。3人の娘のうち、長女はフランスに留学中。下の2人は地元のインターナショナルスクールに通う。14年続けている中国の楽器、二胡は8級(最高は9級)の腕前。 主婦から中医師へ「日本人初、父の死きっかけに」2009/3/12
あの時、中医学をもっとよく知っていれば父を助けることができたかもしれない――。シンガポールで唯一、中国伝統医学である中医学の医師免許を持つ日本人、島田久仁子さんが現在の職を目指すきっかけとなったのは、白血病で父を突然亡くした体験だった。 ■独学で知識吸収 中学のころから気功をやっていたこともあり、昔から東洋医学に興味があった。短大卒業後も信託銀行に勤めながら気功を続け、退職して家庭に入ってからは中国人の先生について太極拳も始めた。そのうち気の力を実感するようになり、漢方や東洋医学の本を読みあさった。1991年に夫の起業に伴いシンガポールへ渡った後も、主婦業の傍ら太極拳を継続。94年ごろ、日本の母親から「お父さんが最近やけに汗をかき肌も白い」と相談を受ける。本で知った「血汗同源」という言葉を思い出した。血と汗は同じ源。汗が多量に出るということは血も失われている可能性がある。医者に見てもらったらと父にアドバイスしても、「本で得た知識なんて」と取り合ってくれない。そのうち症状が悪化し、血液検査を受けると白血病と診断された。骨髄移植もできないまま、96年に他界した。 これを機に、独学だった勉強を本格的に始めたいと決意する。国内の教育機関は中国語で授業が行われていることから、まずは英語で教えてくれる針灸師の下で学び診療所で働いた。99年には太極拳、気功など自己治癒能力を高める指導を行う「天気ヘルス」社を設立。ただ医師ではないので診療ができない。もどかしさが募る中、ちょうど政府が中医師の国家試験制度を導入したことを知る。これが決意を後押し、国家資格を取得できるシンガポール中医学院への進学を決めた。 中国語のレベルは日常会話程度だったが、熱意が通じ入学書類審査が通って合格。3人の子育てをしながら夜学に6年間通った。解剖学、生理学、薬理学などすべて中国語で学ぶため、ヒアリングや筆記を含め同級生の何倍も猛勉強した。最初はノートもとれなかったが、努力の甲斐あって1年目の試験では95人中36番の成績を収める。05年に卒業試験に合格後、国家試験を経て、晴れて針灸師免許を併せ持つ日本人初の中医師が誕生した。 ■真の中医学広めたい その後2年間、中医学博士の診療所で臨床実地の経験を積んだ。07年に博士から独立を薦められ、天気ヘルスを「クニコTCM&ヘルスケア」に改名してクリニックを開業。患者は日本人をはじめ、欧米の駐在員や中国語が苦手なシンガポール人などさまざまだ。「日本人は中医師が何を直せるのか知らない人も多い。知識も『漢方の治療は長引く』といった表面的なものにとどまる。心と体は直結しているという中医学の教えを多くの人に広めたい」 現在は診療のほか、太極拳や気功、食事方法、リンパマッサージなど家庭で気軽に実践できる健康法の講習会も開いている。将来は、東洋医学と西洋医学の垣根を超えた総合医療施設ができればと夢は膨らむ。「患者の悩みをとってあげるのが医師の努め。方法に固執せず包括的な治療を提供できればいいですね」。(シンガポール編集部・清水美雪) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |