丸山傳(つたえ)さん:オーストラリア野球連盟クイーンズランド州評議委員セミリタイア後の時間を豪州の野球振興に費やす丸山傳さん。昨年は日豪大会「コアラカップ」の開催にこぎ着けた。シェフとして来豪した丸山さんが、深く野球とかかわるようになるまでを語ってもらった。 海を越え、白球つなぐ2003/10/21 ![]() セミリタイア後の時間を豪州の野球振興に費やす丸山傳さん。昨年は日豪大会「コアラカップ」の開催にこぎ着けた。シェフとして来豪した丸山さんが、深く野球とかかわるようになるまでを語ってもらった。 丸山 傳さん 真夏の青空の下、バットから生まれた快音が響き渡る。子供たちがバックネットにしがみつくようにして練習風景を見つめている。 第1 回コアラカップは、2002年12月26日から2003年1月1日までゴールドコーストで開催された。日本からは中学生の硬式野球リーグ、リトルシニアの西東京選抜と中本牧選抜が参加。地元豪州からは2チームが出場した。「この国に野球を広めるのが大きな目的。日本の野球から、高い技術としっかりした組織を学んでもらいたい」と語るのは、コアラカップ実現に尽力した丸山さんだ。 言葉のいらない交流の成果は目に見えて表れた。日本の選手の真剣な姿勢に刺激を受け、地元の選手が今までやったこともないダイビングキャッチを見せる。 試合が終わると、草の上に寝ころんでいる父兄に向かって日本チームが一列に並び、帽子を取って「ありがとうございました!」。レセプションで親御さんに真っ先に聞かれるのが、「どうやってあんなふうにしつけるのか」だという。 今の日本の若者がお手本になれる数少ないものが野球だと、丸山さんは誇りに思っている。 地元チームのオーナーに 丸山さんと豪州野球の出会いは10年ほど前にさかのぼる。ゴールドコーストのプロ野球チーム「クーガーズ」の熱心なファンだった丸山さんの元に、同チームのマネジャーが飛んで来た。財政難でオーナーがチームを手放すことになったから、買ってほしいという。ゴールドコーストの市長も、2年間我慢してくれたら3 年目からは援助すると保証した。 何も知らずに練習している選手たちの姿を見て、丸山さんは決断する。貯金をつぎ込み、家も抵当に入れた。「馬鹿ですよね。それを許したかみさんも馬鹿だけど」と丸山さん。 1997年からの2年間、クーガーズにすべてを注ぎ込んだ。約束の3年目、多少は楽になるかと思ったら、選挙で市長が負け、援助の話もご破算になった。 万策尽きた丸山さんはチームを手放す。オーナーは、「ディンゴ」の登録名で中日ドラゴンズにも在籍した元メジャーリーガーのニルソン選手が引き継いだが、数年後、クーガーズはプロ野球リーグとともに消滅してしまった。 野球で豪州に恩返し 岩手県盛岡市大字梁川字根田茂の生まれ。中学の卒業式の日、夜行列車で上京。フランス料理のシェフを志した。 19歳で渡仏。生活が苦しく、時計やカメラはおろか血まで売った。このままでは行き倒れる。子供のころに絵本で読んで憧れたアフリカを一目見たいと、モーリタニアに渡った。同じレストランで働く仲間が、毎週のように徴兵で戦地に送られていった。 帰国後、ホテルの面接を受ける。フランス帰りと言うと感心されたが、履歴書を見て面接官の顔が曇った。「君、中卒じゃ出世できないよ」 母国に裏切られた気がして、豪州に渡ったのが27歳の時。7年間レストランで働いたが、忙しさに嫌気がさし、トラックに荷物を積んで北を目指した。のんびりして住みやすいと友人に聞いていたゴールドコーストに居を構えたが、ホテルやレストランが少ないのに驚いた。 ちょうどそのころ、ブリスベーンと東京を結ぶ日本航空便が就航した。観光ブームの始まりだ。丸山さんにも声が掛かり、レストランが休みの日にガイドとして手伝ったら評判がいい。また頼むよ、と言われるうち、いつしかツアー会社を設立するまでになった。会社は日本の好景気の波にも乗って成長したが、48歳の時、信頼できるスタッフに経営を任せ、オーナー社長として一線から退いた。早過ぎるといぶかしがる人には「私は15歳から働いているから」と納得してもらう。 丸山さんと野球の関係は、クーガーズを手放した後も切れることはなかった。現在ではアマチュア野球の最上位組織であるオーストラリア野球連盟のクイーンズランド州評議委員を務めている。 2年前から、けがや不運に泣き、力を発揮できないまま引退した日本の元社会人野球や元プロ野球選手の面倒を見ている。年齢は19歳から36歳までと幅広い。働きながらゴールドコーストのアマチュアクラブで8人ほどが練習している。 「夢を捨てられる子供はむしろ幸せ」と丸山さん。自分はまだできるはず、とあきらめきれない若者にもう1度チャンスを与えてやりたい。 預かった選手たちには最初にこう言う。「第1条件はメジャーを目指すこと。第2条件はメジャーで経験したら、その経験を豪州で生かすこと」。2つ目は、自分を受け入れてくれた豪州への丸山さんなりの恩返しだ。 プロで野球がしてみたい。それがだめなら球団関係の仕事に就きたい。コーチが無理なら、マスコットのぬいぐるみに入ってもいい……。野球のとりこになった選手たちの気持ちは熱い。それを支える丸山さんも負けないぐらい熱い。 52歳。今年もコアラカップの夏がやって来る。(聞き手・鈴木雅章) コアラカップではスポンサー募集中。 連絡先はbaseballden@bigpond.com >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |