押谷仁さん:WHO感染症監視・対応地域アドバイザーアジアを中心に世界各地で猛威をふるった新型肺炎SARS。原因不明の感染症の対応にフィリピンから陣頭指揮を執った日本人がいる。世界保健機関(WHO)西太平洋事務所の感染症監視・対応地域アドバイザーを務める医師、押谷仁(おしたにひとし)さんに、SARSとの戦いに明け暮れた当時の様子などを伺った。 SARSと戦い広東へハノイへ2003/11/11 ![]() WHOは世界各地に6カ所の地域事務所を持つ。押谷さんが勤務するマニラにある西太平洋事務所は約半世紀前に設置。日本や韓国、中国をはじめ、太平洋諸島など37の国・地域が加盟する。管轄区域は創設当時の政治状況を反映しており、ミャンマー、タイ以西はインド・デリーの事務所が統括する。インドネシアや北朝鮮も同地域事務所に所属している。 フィールドは世界 「世界をフィールドに活動したかったんです」。押谷さんは医学を志したきっかけをこう語った。名刺にDr(ドクター)と記されている通り職業はコレラや肝炎などの感染症が専門の医師だ。在学中は国際的に日本が強いとされるウイルスの研究分野を選択するなど、視線の先にはいつも世界があった。 海外での就業の機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていた押谷さんは1991年、国際協力事業団(JICA)の関係で国外に出るチャンスをつかむ。行き先はザンビア――。念願の世界デビューがアフリカとは予想していなかったが、「しっかり一晩考えた」末に決心、迷いはなかった。赴任中は自宅で強盗未遂事件に遭遇するなど過酷な治安状況下で約3年間、感染症のまん延予防や公衆衛生の確立に明け暮れた。帰国後は米・テキサスへ留学、日本での研究生活を経て、一般公募で現職に就いた。 問い合わせ殺到 「2 月10日、中国・広東省をはじめ各地から原因不明の症状を持つ患者の報告がありました」。SARSについて日付から切り出す押谷さんの記憶は鮮明だ。広東省での現地調査を申請したが、中国政府の認可が遅れ、押谷さんら調査チームの北京入りが実現するまでには10日以上を要したという。 中国での調査中には、ベトナムから類似した感染症の報告も入り、押谷さんは北京からそのままハノイへ飛び、情報収集に努めた。症例報告が世界各地から上がり始める中、3月下旬にマニラに戻った押谷さんを待っていたのは、各国から殺到する問い合わせだった。 原因不明の感染症発生に各国の保健当局は一様にWHOの指示を仰ぐ。感染症担当者である押谷さんには、「eメール500件、ファクス200通」が押し寄せる日々が続いた。当時、SARS対策チームは最大20人で対応に当たったという。 4月に入り感染源をコロナウイルスと突き止め、地域間の医療実験施設のネットワーク化で情報の蓄積も進むなど成果が出始めた。さらに「感染力が思ったほど強くなかった」ことも幸いし、7月5日、台湾の感染地域指定を解除。SARS流行はひとまず収束した。 現在のところSARSは沈静化しているように見えるが押谷さんは、「今後も何が起こるか分からない」と警告する。自然界に存在するウイルスがひとたび人間にうつれば、再発は十分にあり得るとし、指揮官として警戒を緩めることはない。 世界を舞台に活動するという目標を実現させた押谷さん。SARSヘの対応に忙殺され、すっかり運動不足になったそうだが、今では毎日1時間ほどスポーツジムで汗を流すなど、医師として自らの健康管理を怠らない。家族は一足先に帰国させ、現在は単身フィリピンで日夜、感染症の最前線に立つ。【インタビュー:山田敦也】 >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |