鳥羽宏彦さん:三井住友銀リース・シンガポール社長「銀行のローンと違って当社は、お客様に合った手作りの一品料理を勧めています。リースにプラス・アルファの商品。リースそのものは単純なファイナンスと変わらないので、オペレーティングリースへ進むわけです。お客さんとの会話の中にヒントがありますね」 激動のアジアで商機つかむ2003/11/26 ![]() 2度目のシンガポール勤務。1980年、26歳で出張ベースのシンガポール法人設立準備に当り、4半世紀が経った。開設の翌年、1981年1月に着任した。隣国マレーシアではマハティール首相が誕生し、「ルックイースト政策」が打ち出された時期だ。それから10年余、リークアンユー時代、アセアン興隆の歴史に自らを重ねた。 プラザ合意まで苦難の道 「赴任当時は住友化学がメルバウ島にプラントを建設中で、 100〜200人日本人スタッフが来るとうわさされ、シンガポールの家賃が急騰した時です。当社はこのプラント建設を狙いました。かなりの資金需要が期待されましたからね。結局、プラントの本格操業は4年遅れることになり、松下、三洋グループ各社の進出に照準を変えたわけですが、G5によるドル安を狙った 85年のプラザ合意までは苦難の道を歩みました」 シンガポール経済は米ドル金利が20%にもなった時期にもぶつかり瀕死の状態だった。ローカル大手ゼネコンがばたばた倒産し、リース先の物件を押さえては売った。バージ(台船)など結構いい値で売れたという。このプラザ合意の後、日系企業の進出ラッシュが始まる。 近隣のマレーシア、タイへ日系のメーカーが続々と上陸してくる。 「そこで私が目に付けたのが租税条約でした。シンガポールと両国はリースに源泉税がどう付加されるのか。タイは課税されないことが分かった。資金調達コストを差し引いても利益があがる。面白かったですね」 年間100日はバンコクに。10億円単位の取引がどんどん入ってきた。銀行の融資と違うメリットをうまく利用したわけだ。 ベトナムのドイモイなど東南アジアはめまぐるしく動き始めた。中東では91年1月17日、湾岸戦争が始まった。この日、ちょうどビジネス最前線のバンコクにいたという。 91年4月、シンガポールから米コネチカットの現地法人へ。 車摩擦の真っただ中、米へ アジアと違った営業戦略、資産を持たずアレンジメントフィーの事業。まさに日米自動車摩擦時代で部品メーカーが殺到していた。弱電から自動車まで工場建設ラッシュ。シカゴからメキシコまで飛び回ったという。米で最大のAT&Tリーシングはわずか社員十数人で年間物件取得が5,000億円という時代だった。 95年、4年余の米駐在を終え帰国。 ここからがまた面白くなる。「わずか3年でタイ、マレーシア、中国・広州、上海、ベトナム・ホーチミン、オランダに6社を設立しました。97年の通貨危機がなければ台湾、フィリピンにも作っていましたね」 同社の国際化が一気に進んだ。その間、自ら設立したマレーシアの赤字解消に1年間赴任した。 そして今年6月、懐かしい第2の故郷へ。 「ここは海外最重要拠点です。最盛期の数字からみるとかなり落ち込んでおり、これから3年で過去のピーク時の実績にまで戻したい。まずオフショア・ビジネスでベトナム、フィリピンを手がける。さらに船舶も有望です。シンガポール置籍船には税の優遇策があります。パナマなどはみなし課税されますが、ここでは法人税だけですみます」 とことんジャズ、ゴルフ どこまでもビジネスの話が続く。が、この人のジャズ狂はすごい。アフロアメリカンジャズのピアニスト、マッコイ・タイナーのCDアルバム等CD1,000枚、レコード500枚を超す収集家。The Real Mccoy かどうかは聞き忘れたが、彼のサイン入りCDがお宝とか。シンガポールでも当然、ボートキーのジャズクラブ「JAZZ@SOUTHBRIDGE」へ。関根あやのピアノで疲れを取るという。 仕事師はゴルフも一流。泡盛を前夜がぶ飲み、仲間は潰れて翌日ダウンにもかかわらず、早朝からグリーンへ。90、91のスコア。さすがふらふらだったと言うが、それでもこの数字。遊びも半端ではない。 ニヤニヤしながら眺めている手帳には、3歳のお嬢さんの写真がペタペタ。といっても愛犬のポメラニアン、伽羅(キャラ)ちゃん。埼玉の自宅で奥さんと本物のお嬢さん(大学生)、社会人の長男が留守番。札幌出身51歳。(インタビュー・小森孝光) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |