パイトン・エナジー社長・緒方啓三さん第359回・1950年、東京都吉祥寺生まれ。成蹊大学工学部を73年に卒業し、三井物産に入社。世界各国のプロジェクトに関わって経験を積み、パイトン・エナジー社長に。カラオケが大の苦手で、「成蹊会」の仲間とは3カ月に1度のゴルフで集まる。 利潤追求しながら、社会貢献も」電力危機に超フル稼働2010/5/13
インドネシア国内でも人口が集中するジャワ島とバリ島。パイトン・エナジーが運営するパイトン発電所は、この2島に電力を供給している。小中高校の社会科見学訪問先にもなり、知らない人はいないほど有名な発電所。この発電所事業を三井物産で企画当初から約20年の歳月を費やして担当してきた。 仕事柄、世界各国を飛び回ることが多い。韓国ソウル、日本とイランの合弁プロジェクトIJPC(イラン・ジャパン石油化学)事業など頻繁に海外へ出向。インドネシア駐在は今回が2度目というものの、それ以前にも化学肥料プラントの営業で初めてインドネシアの仕事をしたのは1981年。98年のジャカルタ初出向も、文化の違いに驚くことはなかった。海外赴任には家族全員で行くと決めている。初めての赴任では4人だった家族も、今回は子供が自立して妻と2人に。社内に日本人は一人で英語漬けの毎日。妻と過ごす週末が何よりも心休まる時間だ。 ■憧れと警戒の世界 幼少期は大倉財閥の一員として大倉商事で毎日遅くまで働く父の姿を見ながら育つ。そんな姿にあこがれを抱くある日、父に「商事はやめておけ、この会社はもうすぐ潰れる」と言われた。その警告が心に響きつづけるも、選んだ仕事は商社マン。37年前に三井物産入社から現在まで、プロジェクトに関わり続ける仕事が「おもしろくてたまらない」。時間をかけ努力してきた分だけ、完工した事業を目の当たりにしたときの喜びや感動は強い。 2009年に首都を含めた全国が電力危機となり、停電が続いた時期にはフル稼働を超えた稼働率101%という時期もあったと語る。余剰分1%はタダ同然での提供となった。商売にならないと分かりつつも、皆が困っている状況の中で少しでも役に立ちたいという気持ちで必死だった。損失を出してまでのことはするつもりはないが、インドネシアという国に貢献しながらお金が稼げることは幸せなことだと感じている。 ■本音は喫煙所で 小学校時代からラグビーを始めてから就職後の社会人チームに至るまで、常にキャプテンを務める。高校の全国大会に出場こともあり、都内では最低でもベスト8というほどの猛者。鍛えてきた肉体と精神は、年末には還暦を迎える今でもまだまだ自信がある。 東ジャワ州にある発電所には月に1度は訪れ、現場で働く若者から工場長に対する愚痴を聞くこともよくある。喫煙所でたばこを吸いながら話すことで、社員の本音が聞けるのだという。また専属ドライバーが、待ち時間にも駐車場でできるだけ社長を迎える時に近距離になる位置に移動するという努力をしていることに感動したと、社員の細かい仕事まで評価している。 時間配分を考慮できないものは、部下をしかる方法やタイミングさえも考えつけず、出世することはできないと語った。自由な社風の三井物産でプロジェクトに関わり、自然と身についた未来計画の力こそが自分の宝だと確信している。増設計画が完成するまでプロジェクトを見守っていくことが夢という。(インドネシア編集部・江藤梨乃) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |