マレーシア・プトラ大学(UPM)レクチャラー・ヌ・イスマルビー・ザハリさん

1974年1月生まれ。クランタン州コタバル出身。マハティール首相(当時)のルックイースト政策の留学枠で日本の山形大学、名古屋工業大学に留学。趣味はガーデニングとアウトドア活動。読書はもっぱら研究論文と伝記が多い。

日本での留学経験生かし研究者に

2010/7/22

マレーシア・プトラ大学(UPM)レクチャラー・ヌ・イスマルビー・ザハリさん

ルックイースト政策に乗り日本に12年近く留学した経験を持つ若手研究者のルビーさん。UPMで教べんをとりながら自身の専門である材料の研究に励む忙しい日々を送る。そのルビーさんに、日本に興味を持ったきっかけや日本とマレーシアの研究環境の違いなどを聞いた。

■「日本」に触れる機会多く

前期中等教育成績評価(PMR、中学3年修了時)の試験で優秀な成績を修め、全寮制の「マラ・ジュニア・サイエンス・カレッジ」に入学。朝から晩まで勉強詰めの中、「テレビで放送されていた日本のドラマの影響と同じ学校の先輩の話を聞いて日本に留学したいという気持ちが膨らんだ」。猛勉強の末、日本行きの通知を受け取り、山形大学工学部機械システム工学科に留学した。

日本に留学する前にマレーシアで2年間日本語予備学校に通ったが、大学に入って日本人の友人と会話するのに苦労した。大学に慣れ日本語を上達させる目的でレストランやホテルでアルバイトを始めたことで「学校とは違った実践的な日本語が身についた」。同じ学年の日本人学生にも溶け込めるようになった。

卒業が迫ったとき、日本の大手企業から内定をもらっていたこともあり、就職か大学院進学かと迷ったが、「就職すると大学で学んだことが生かせなくなるのがもったいないと思った」。大学院推薦枠を受け、日本機械学会の「畠山賞」を受賞したこともあり、研究を続ける決意をする。

その後山形大学の修士課程で2年間、チタニウム材の消耗により進展する亀裂を改善するための構造(疲労強度特性の向上)を研究した。課程修了時に日本で研究を続けるか帰国するかの選択に迫られ、家族のことを考え帰国した。

■一歩一歩研究者へ

帰国後はテナガ・ナショナル大学(UNITEN)に契約スタッフとして勤める。その後、UPMに移ったが「研究者としての道を歩むため、早く博士号を取得したい気持ちがあった」ため、再び日本に行くことを決意。UPMの学部長の理解もあって休職し、山形大学の博士課程(3年間)に進む。研究で難しかったことは、外側からは確認できない材料の内部の構造変化に関する資料作りだった。一方、失敗が多い実験の中でデータが仮説と一致したときは喜びも大きかった。博士課程修了後、1年をおいて名古屋工業大学で博士課程修了後の研究課程(2年間)に進む。通常のセラミックよりも誘電率が高いフォルステライト系セラミックの温度特性や誘電特性、結晶構造について研究した。

現在はマレーシアに戻りUPMで教べんを取りながら自身の研究を進める。「マレーシアの学生は積極的に質問するので講義も白熱しやりがいがある」一方で、自身の研究については「設備が整った日本のように進まず苦労もある」と話す。

研究している金属材料は飛行機や車の部品、セラミックは携帯電話部品や衛生部材に利用されており、マレーシアでも応用に向けた関心が高まってきた。

これまで教授や家族の理解があってここまでこれたと語るルビーさん。家族や両親と一緒に過ごせるマレーシアで仕事と家庭を両立しながらの生活には充足しているとしながらも、将来はまた海外で研究を続けたいと意欲をみせる。(マレーシア編集部:竹内悠)

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