プライムトラベル&ツアー代表取締役・西村紘一さん

1943年熊本県生まれ。大阪商業大学卒。プライム社の定年は以前は65歳だったが、「ローカルのベテラン社員にできるだけ長く働いてほしい」との思いから13年前にいっきに80歳まで引き上げた。「自分も含め、みなまだまだ元気で活躍してくれています」。07年に法人化した訪日旅行部門「Follow Me Japan」は娘の理佐氏が代表を務める。

北海道観光ブームの火付け役

2010/9/30

プライムトラベル&ツアー代表取締役・西村紘一さん

訪日旅行でシンガポール人に人気の渡航先といえば北海道。今では当地で知名度抜群の地名も、10年前までは今では想像できないほど認知度が低かった。シンガポールで北海道旅行が本格化する道筋をつけたのが国内大手旅行会社プライムトラベル&ツアーを率いる西村さんだ。「誰かの役に立ちたい」という思いが西村さんを挑戦へと駆り立ててきた。

高校、大学時代は新聞配達や書店の経営をまかされるなどして生計を支えた。書店経営を終えた後は東京にある米軍横田基地で通信業務の職を得る。ちょうどベトナム戦争が激しくなり、米軍が横田を輸送基地として利用していたころだった。待遇の良さから「(父の事業の)倒産で苦しんでいる家族を救うためなら命をささげても良い」との思いがあった。戦地に行くことも辞さなかったが、次第に米国基地にいることで戦争に参加しているような気がしてつらくなり、民間企業への転職を図る。そこで採用されたのがノースウエスト航空だった。

■直行便開設を提案

大阪で予約業務や営業を担当するうち、その働きぶりを買われ入社3年後にはシンガポール航空(SIA)の前身マレーシア・シンガポール航空からヘッドハンティングを受ける。転職後に引き続き過ごした大阪では3年で課長から次長、最後は30歳で西日本営業部長まで上りつめ、当時業界で最速の出世といわれた。その後同社の東京支社でマーケティングなどを手掛けた後、77年に域内9カ国を統括するアジア支社長付きとなる。中近東でのプラント建設など日系企業が積極的に海外進出を図っていた時期で、こうした法人需要を取り込むのが仕事だった。当時東京〜シンガポール間の直行便はなく経由便のみ。大阪時代から「SIA(1972年にマレーシア航空を分離して発足)が大きくなるには日本市場が必要」と提案していた直行便開設を周囲に熱心に説いてまわった。最初は「採算が取れない」と誰1人賛成してくれなかったが、支社長付き就任から3年後には実現にこぎつける。当時は多くの日本人旅行者が8月や12月のピーク時に東京からシンガポール経由で欧州を訪れたが、復路は予約しないまま出掛け、旅客需要の多さから帰りに東京便の予約が一杯でチャンギ空港に足止めされるケースも多かった。「日本人を救うために乗客を自宅に泊めたこともよくありました」。

直行便開設という思いがかなったところで同社を去り、アシスタント時代に赴任したシンガポールで1979年に起業。これがプライムトラベルの誕生につながる。

■北海道を救いたい

同社は地元の富裕層を中心とした訪日旅行手配や法人向け航空券手配、クルーズ旅行商品(日本とシンガポールでのクイーンエリザベス2世号総代理店)などを提供。訪日旅行では2000年に「外国人観光客集客で苦慮している北海道を救いたい」との思いから、北海道ツアーを開始した。シンガポールでの北海道観光ブームの火付け役となった。05年にはチャーター便を利用した北海道ドライブ観光ツアーを初めて敢行。北海道ドライブブームも生まれた。こうした功績が評価され国土交通省から「外国人客誘致の道筋を付けた」として「Yokoso!Japan」大使に任命された。

今年10月末のシンガポール〜羽田便就航にも注目している。新たに羽田発着旅行商品の新ブランドを立ち上げており、先ごろ開催された国内最大の旅行フェアでは大きな反響があった。「今回はマスマーケット向けの商品を作った。今後は羽田・成田を取り込んだ市場を作っていく必要があります」。

今後期待するのは「次世代を担う新しいリーダーの出現」。大学時代から始めた私塾でも「どんな分野でもいいからリーダーになれ」と教えていた。航空・旅行産業で数々の実績を作った西村さんの言葉にはずっしりとした重みが感じられる。(シンガポール編集部・清水美雪)

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