榎原美樹さん:NHKバンコク支局特派員今年3月にぼっ発したイラク戦争の生々しい映像は記憶に新しい。人々が地球の裏側で起こる事象をリアルタイムで見られるのは、現地でカメラを回し、現状を伝える報道があってこそ。イスラエル、カタールなど中東の取材を通じて、言葉では言い表せない平和の重みを肌で感じたという、NHK(日本放送協会)バンコク特派員の榎原美樹さんに、NHKとの出会いや報道裏話などをうかがった。 銃弾の中、決死のリポート2003/12/16 ![]() ■Tシャツ、短パンで就職面接 「すっごい偶然なんですよ」。すでに経営コンサルタント会社から内定をもらっており、就職活動での焦りはなかった。2週間の台湾旅行を翌日に控えた日にTシャツと短パン、手にはスーツケースという格好でNHKへ願書を取りに足を運んだところ、まわりはスーツをビシッと着た学生でいっぱい。面接が行われるとは夢にも思わなかった榎原さんが、そのままきびすを返そうとしたところ、社員の1人に、「NHKという会社は人の着ている服を見て判断する会社ではありませんから」といわれ、「あ、ここいいかな」と思ったという。 ちょうど男女雇用機会均等法が施行された年。「バブル華やかなりしころだったので、女性にとってはわりと売り手市場の時代でしたね」 大阪大学では西洋史を専攻。入社を間近に控えたある日、山室英男元NHK解説委員長による「歴史とジャーナリズム」という題目の講演に参加した。テレビ報道における一義的な仕事は、起こった事象を瞬時に伝えることだが、歴史上どういう意味を持つのか、なぜ起こったのかを歴史観に基づき分析できなければジャーナリストとは呼べないという言葉は深く印象に残っているという。 ■厳寒の夜討ち、トイレも我慢 「大変でしたよ」初任地は女性記者としては異例の大阪府警担当。夜討ち朝駆けというように睡眠時間がほとんどなかった。冬は寒い、トイレには行けないという悪条件の中、担当刑事に一言コメントをとるがために土日も刑事宅に張りついた。毎日やめたい、やめたいと愚痴る榎原さんは、母親に「じゃ、辞めれば」といわれ、「あと一日だけ……」という気持ちで踏ん張ったという。 数々の事件を追いかけた2年間で学んだことは、人生には白黒バシッと割り切れない部分があるということ。 ■初めての海外取材先はタイ 1990 年の11月、海外での初仕事としてタイの地を踏む。当時は高速道路、スカイトレインもなく、見るもの聞くもの新鮮ですごく面白かったという。さらにカンボジア国境で非政府組織(NGO)活動を続ける日本人女性グループを密着取材。「バンコクの500倍くらいおもしろかった」というカンボジアのゲリラ基地に日本のカメラが入るのは初めてのことだったらしい。密林の中をおんぼろ車でくぐりぬけ、地雷を避けて歩かなければいけない状況。この頃から仕事のおもしろさが分かってきたそうだ。 91年に青天のへきれき、ロンドン赴任となる。「私の人生どうなっちゃうんだろう」というのが正直な感想。自分の生まれ育った大阪の地を離れることなどもあり複雑だったという。 いざ、行ってみると楽しかったという3年間の駐在のうち、最後の1年は海外出張の連続だった。イスラエルの和平交渉や、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦などを取材、頭上を銃弾がかすめることもあったという。 今回のイラク戦争では、米中央軍前線指令部のあるカタールから戦況を伝えた。平和な日本にいると、言葉で「戦争反対」といっても戦争や人の死を自分の痛みとして感じることは難しい。銃弾を浴びて亡くなったり、失明する人を目の当たりにした榎原さんは、「事実は小説よりも奇なり」を肌で感じたという。 ■いつか文章で表現したい 2000 年4月から2年間「ニュース10」のキャスターを務め、02年7月からバンコクに。人生イコール仕事という榎原さんも休日は高校時代に鍛えたテニスやエステ、ピアノなどを楽しむ。料理好きの榎原さんは自炊派。忙しい時はご飯、納豆に味噌汁という純日本食で栄養補給する。かけがえのないものは「家族」。今後どのような仕事をしたいですか、との問いに、「テレビは体力勝負。文章で表現したいという気持ちもある」という。 昔から本を読むことが好きだったという榎原さん。体を張って吸収した貴重な経験が、文字となって伝わる日が来るのかもしれない。(聞き手:七沢愛果) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |