酒井芳彦さん:フィリピン味の素社長

「8千万×3」。フィリピン味の素社長の酒井芳彦さんは、当地のビジネスチャンスをこの数式で示した。同社が扱う商品の中で最大の売れ筋商品の販売価格は1袋1ペソ。これが低所得者層が大勢を占めるフィリピン国内において、毎月1億袋以上売れていくという。

“口”の数だけ商機あり!

2003/12/23

酒井芳彦さん

決して裕福とはいえないフィリピンを市場としてとらえた場合、成功へのカギは何か。酒井さんはひとこと、「口の数です」と答えた。どんなに貧しくても何も食べないというわけにはいかない。「この国で皆が3食にありつけているとは思わない」としながらも、約8千万人の人口を抱えるフィリピンに、さらなる市場拡大の可能性を見ているようだ。冒頭の数式は、ここにつながってくる。

これに関連して、味の素では、“コインサイズ”と称する、商品を細かく小分けにして販売する手法を取り入れている。同じ商品を分量で分け、消費者に硬貨(コイン)一つでも買える商品構成を提供しているのだ。主力商品であるうま味調味料「AJI-NO-MOTO」だけでも、下から50センタボ、1ペソ、2ペソ、5ペソ、10ペソといった具合に、必要量に応じて容易に手が出る価格帯を準備。酒井さんの説明によれば、このうち最も売れているのは1ペソの袋(5.6グラム入り)で、その数は毎月約1億3,000万袋に達するのだそうだ。

栄養改善に協力

1958年以降、当地で操業を続けている味の素だが、当然のことながら毎年、現地状況にかかわらず前年を上回る業績が求められる。

そのためには、生産・物流分野のコスト削減による利益率のアップはもちろんのこと、新たな市場の開拓も不可欠で、「味に対する啓もう活動を行うことが必要」と酒井さんは言う。さらに、より根源的な課題として、国民の栄養状況改善の必要性を訴える。その一環で味の素は、バタンガスで行われているNGO(非政府組織)活動にも協力している。

ペルーとフィリピン

既に広く知られていることだが、酒井さんは2回目のペルー駐在時に、日本大使公邸人質事件(96年12月〜97年4月)に巻き込まれた経験を持つ。「生命の危険を感じた」と語る酒井さんの当時の心境は容易に理解できるものではない。ただ以前から、過酷な状況に身を置くことは多かったようだ。

「もともとブラジルへの赴任を希望していました」という酒井さんが初めてペルーに降りたったのは77年のこと。しばらくは言葉の問題もあり、右も左も分からず苦労の連続だったという。さらに当時のペルーは深刻なモノ不足。コメを買うため、人目を忍んで夜中に車を飛ばして越境したこともあったという。また、戒厳令下で夜間外出が禁じられている中、日本からの到着客を迎えるため、許可を得ているとはいえ、ものものしい警備体制が敷かれた幹線道路を、「国旗を立て、窓を全開にしたまま時速40キロくらいのスピードで空港に向かった」時の様子など、「当時の駐在員は皆そうでしたよ」と笑いながら話してくれた。

そうした状況下で生活してきたためか、酒井さんの身体には危機管理能力がしみついており、アジアの中で“危険な国”とみなされることの多いフィリピンでの生活について、「危険を感じたことはありません」と言い切る。海外駐在に常に同行してきた奥さんも、フィリピンを便利な国と評しているという。ただ酒井さんは、汚職のまん延具合は、「フィリピンの方が南米よりひどい!」と感想を述べている。

落ち着く先は…

ペルーにはじまりブラジル、シンガポール、ドイツ、フィリピンでの駐在経験を持つ酒井さん。少し先のことになるが、退職後の落ち着き先を聞いてみた。奥さんともどもお気に入りの南米はもちろん、日本から近いフィリピンも候補の一つだが、実は酒井さん、密かにお嬢さんたちを海外別々のところに嫁がせ、日本を拠点にそこを訪問する生活を企んでいる。ただこればかりは、入社から30 余年続けてきた仕事とは異なり、自分の思い通りにならないことは承知しているようだ。【インタビュー:鹿谷晴生】

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