ジェトロKLセンター所長・寺西武英さん1955年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。79年に日本貿易振興会(現・日本貿易振興機構、ジェトロ)入会。マレーシアへは84年からの語学研修、90年からのクアラルンプール(KL)センター勤務に続き3度目。3月下旬に着任したばかりで多忙だが、週末はバスも使った市内散策などで街の変化をくみ取る。 3度目のKL赴任、着実な発展を実感2011/5/5
「マレーシアか韓国か。30年前、悩んだ末に前者を選んだことからマレーシアとの関係が始まった」。ジェトロKLセンター所長の寺西武英さんが深くマレーシア、東南アジア諸国連合(ASEAN)にかかわるきっかけとなったのは、ジェトロ四国事務所時代の語学研修の募集だった。 そもそも大学卒業後にジェトロ入構を志したのは「世界とかかわる仕事をしたかったから」。ゼミで国際政治を学び、卒論のテーマも70年代のジャカルタ暴動と、学生時代からアジアへの関心は高かった。 ■これからは東南アジア 入構後2年間、ジェトロ本部の管理部署に勤務した後、四国事務所(香川県)で働くこととなった。四国では地理的に近い韓国と取引している企業が多数あった。そのころに構内で、韓国語かマレーシア語研修の希望者が公募される。「韓国と取引する会社はすでに多いが、これからは東南アジアではないか」と考え、悩んだ末にマレーシアを選んだ。 84年秋、マラヤ大学語学センターの聴講生としてマレーシアへ赴任。授業は週に3〜4コマと少なかったが、空いた時間で家庭教師を付けるなどし、マレー語に取り組んだ。合間にジェトロKLセンターの業務も手伝う。「ちょうど85年のプラザ合意があり、大手だけでなくその周辺の中小企業もマレーシアへ進出する機運が高まった時期だった」。 86年夏に研修を終え帰国。輸入対策部などでマレーシア工業開発庁(MIDA)やマレーシア貿易開発公社(MATRADE)と連携しながら、マレーシア製品の日本への輸出拡大や、産業振興をサポートする。そして90年3月、ジェトロKLセンター所員として再びマレーシアの地を踏む。 当時はいまと比べると、LRT(軽量高架鉄道)やモノレールの建設計画が浮上したばかりで、交通インフラはまだまだ未整備だった。ペトロナス・ツインタワーもクアラルンプール国際空港(KLIA)もまだ。それでも日系企業の進出ブームは過熱期で、「多くの地方から投資ミッションを受け入れた」。 その後は通産省(当時)へ出向しロシアなどの債務繰り延べ事業にかかわるなどアジアとの関係は一時薄れるが、01年からジェトロ・ジャカルタセンターの次長として東南アジアへ舞い戻った。そのころのインドネシアは、04年の豪州大使館前爆弾テロ、05年のバリ島同時爆弾テロ事件が発生するなど不穏な情勢。テロを身近に感じた場面も少なからずあった。ただユドヨノ大統領の就任後からはテロへの締め付けが強化され、治安面はいくぶん改善に向かったと感じたという。 06年からは日本アセアンセンターへ貿易部長として出向。ASEAN製品を紹介する各種イベント開催などを手掛けるスタッフ30数人の小規模所帯だったが、フィリピンやタイの政府機関から出向者を受け入れるなど、アジア色豊かな職場だった。 ■着実な発展実感 三度(みたび)のマレーシア着任であらためて思ったのは、「マレーシアは発展の道を着実に歩んでいる」ということ。豊富な天然資源、外資誘致をてことした製造業の発展に加え、現在はサービス業の成長も注目されるといった変化を感じる。 日系企業も増加しており、サービス業や商業での進出も目立つようになった。公共交通インフラを中心とした街の風景も様変わり。KL市内では高架道路や立体交差点が増えたことに驚く。 今後はジェトロとして、マレーシア日本人商工会議所(JACTIM)の活動への参加などを通じた進出企業への貢献、これからマレーシアでのビジネス展開を計画する日本国内企業へのサポートに引き続き務めていく考え。9月に開催される国際環境技術・エコプロダクツ展示会(IGEM)では昨年に続きジェトロブースを構える予定で、日本の技術、製品紹介にも力を入れていく方針だ。(マレーシア編集部・榊原健) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |