環境NGO・CGN代表・反町眞理子さん埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。立教大学社会学部を卒業後、雑誌編集者、放送作家として活躍。アジア映画関連のイベントのため来日していたカリンガ州出身のミュージシャンと出会い、結婚を機に1996年にフィリピンに居を移した。2001年に環境関連の非政府組織(NGO)、コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)を設立。私生活では3人の子どもを持つ母親で、公私に精力的な日々を過ごす。 先人の知恵生かし森を育む2011/7/14
「住民100人の小さな村に政府軍100人が乗り込んできて……。バブル時代の女子大生には大きな衝撃でした」。マルコス政権下、共産ゲリラと政府軍の抗争が激化する時代に、ホームステイでベンゲット州バギオ市に滞在したことがフィリピンの原体験。この時の経験がその後も脳裏に焼き付き、十数年を経てフィリピンに移住するきっかけになった。 現在は環境NGOの代表として、バギオ市をベースに活動。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産として知られるバナウエの棚田など、豊かな自然を誇るルソン北部の山岳地方で、植林活動や農業と林業を融合させた「森林農法(アグロフォレストリー)」などを通じ、森林保護や持続可能な農業の指導などを行っている。 ■育てる方が難しい 近年のCSR(企業の社会的責任)への注目の高まりを受けて、ここフィリピンでも多くの植林が行われているが、「木は植えるよりも育てる方が難しいことはあまり知られていない」と指摘する。山岳地方にはかつて、「ラクン」「サグダイ」などと呼ばれる「植えて、育てた人の子孫が木を使用できる」という次世代に森を残すためのシステムがあった。だが、時代の変遷とともに目先の収入にとらわれ、育てることを無視した不法伐採や無計画な農薬の使用などが横行していったという。 こうした状況下で環境保全活動を続ける中、植林の前に「なぜ木を植える必要があるのか」を地域住民に理解させることが必要と痛感した。フィールドワークとは別に、環境に関する教育に重点を置くようになった。その過程で、人間と自然の共生の重要性を訴えた先住民の民話が数多くあることに注目。村の老人からこうした民話を発掘し、それを演劇として上演する「環境演劇」という新ジャンルを開拓した。 14〜19歳の若い世代を対象に地域の学校と共同でワークショップを開催し、住民の前で演劇を上演する。村が一体となって取り組む環境事業。自然と関心は高まり、大きな手応えを得た。次第に「うちの村でも」と評判が広がり、2006年には、名古屋市で開かれた「愛・地球博」の1周年記念イベントで上演するまでに成長した。 ■コーヒー栽培に着目 地域住民の自立を後押しするため、商業作物の栽培も推進する。野菜の産地として知られる地方だが、マニラ首都圏に出荷する際には未整備の悪路が大きな障害となる。「普通の野菜を作ってもマニラ近郊の産地にはかなわない。何か保存が利くものを」と考えていたところ、当時の農業省が積極的に栽培を促進していたコーヒーに着目。標高700〜1,500メートルの高地での栽培が可能なアラビカ種の存在を知り、栽培に着手した。 6年前に植えたコーヒーの木が実り、最近になってようやく「Kapi Tako(カピ・タコ=コーヒーを飲みましょうの意)」として商品化にこぎ着けた。「ローストしない限り保存の利くコーヒー豆は貯金代わり。現金が欲しい時に売ってお金に換えることもできる」と、地域住民の貴重な現金収入になることに大きな期待を寄せる。 ■キャリアウーマンから転身 フィリピン移住前は「まさにキャリアウーマンでした」。イベント情報誌の編集者やラジオの構成作家として、現在とは対照的なスピード感あふれる世界に身を置いていた。仕事に追われ、疾走、疲弊する毎日に「舞台から降りるなら今」と決断。山岳地方での生活に身を投じた。 移住当時は物々交換が主流だった小さな集落は、情報入手経路の発達や海外出稼ぎ者などの影響で拝金主義が横行、大きく変貌してしまったという。「持っていたものは壊れ、大事なものは失われつつある」と嘆く一方で、先人の知恵を生かし、次世代のための環境保全に取り組む。 NGO発足から10年を迎え、「自らがサステイナブル(持続可能)でなければ」と一念発起。助成頼みの現状からの脱却を図り、安定した活動を実現するため、このほど会社法人を立ち上げた。蓄積されたノウハウと小回りの利いた活動を武器に、従来のNGOの枠を超えた新たなフィールドでの活躍が期待される。(フィリピン編集部・中島政之) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |