藤川清弘さん:本上座部仏教協会顧問・泰国ポムケウ寺比丘

中学卒業まで優等生で通っていた京都の少年が、高校で番長のレッテルを貼られた。バブル絶頂期には土地転がしでもうけたお金を湯水のように使った。宗教にまったく無縁だった男がブッダ哲学に出会い、大好きだった酒と女を断ち年。欲望に執着しないことであっさり生きられるようになったという比丘僧、藤川清弘さん(写真)にお話をうかがった。

人間ブッダに弟子入り11年、少年Aから出家僧へ

2004/2/3

藤川清弘さん

小学生ではエジソンや湯川秀樹に憧れ、中学の成績は常に上位に入っていた。就職か進学かを選択する中学3年で進学したいと申し出ると、担当教師は「(お金の無い)おまえの家庭で進学できる訳がないだろう」と冷たくあしらったという。

働きながら定時制高校に通ったが、授業は面白くない。いつしか学業から遠ざかって、悪友と交わり、番長と呼ばれるようになる。恐喝、学校荒らしに手を染め、行き着いた先は鑑別所だった。藤川さんは6人兄弟の長男。「少年A」のらく印を押されたまま人生を続ければ姉や妹に迷惑がかかると考える。

堅気の生活に戻る決意をした藤川さんは近所にある立命館大学に足を運び、高校を飛ばし大学に入学できる「大検」の存在を知る。それからは朝昼は働き、夜は必死で勉強する毎日が始まった。結果は「合格」。ただ、金銭的な折り合いがつかず、合格の先にある大学生活をあきらめることになる。その後心を切り替え、小さな建築会社で次第に頭角を現した藤川さんは、天下の「X組」の営業マンとなる。攻めの営業で成績は常にトップ。宅地建物取引主任者、1級建築士の免許も独学で取得した。

一億円捨て、出家

法も警察もすべてはお金で片がつくと考えていたバブル全盛期のころ。土地転がしを手掛ける会社を興し、荒稼ぎした1億円を持ってタイに乗り込んだ。現地法人を設立し、飲食店や美容店を経営、バンコクのタニヤ通りにもスナックを買い、タイ人女性に経営を任せていた。2万円で人が殺される裏社会を知ったのもこのころだ。

1992年、タイ人社員が一時出家を誇らし気に語るのを耳にし、「おれもやったろやないけ」と面白半分で頭を丸めたのが出家のきっかけだ。酒も女もない僧侶たちがすがすがしく生活しているのが不思議でしょうがなかった。あるタイ人出家僧は藤川さんがお腹を下して汚した袈裟(けさ)を、きれいに洗濯してくれたそうだ。たく鉢に出れば、住民が袈裟をまとった藤川さんを敬う。この寛大な僧侶たち、熱心な仏教徒の根底にあるのは何なのか―。そのなぞを解明するため、藤川さんは日本語で説明されたブッダの本を読みあさり、次第にブッダという男の生き方に魅かれていった。

5カ月後、日常の世界に戻ったが、なぜかむなしさが込み上げてくる。食べるものにも困っていた少年時代は過去となり、金、女、酒、欲しいものすべてを手中に収めたのに心は満たされない。ついに1億円を捨てブッダの弟子入りを決意する。

文盲をなくしたい

日本に一時帰国した時、たまたまテレビに映ったたのがオウム真理教の手入れだった。幹部は別としても、必死で何かを求め、純粋な気持ちで入会した若者もいっぱいいるはず。ブッダの教えを少しでも分かってもらえば、心の飢えに苦しむ若者を救えるのではと考え、2000年に日本上座部仏教協会を設立した。

「バブル時代にめちゃくちゃやり、こんな世の中にしたおれら一人一人が土下座してあやまりたいくらいだ。これからの時代をつくるのは新しい命を世に送り出し、子育てをする女性だ」という。問題児、登校拒否児に悩む親には子どもをタイに連れて来るよう勧めている。山の中の「森の寺」に放り込まれれば、子どもの生きる本能が引き出され、1週間で立ち直るからだ。ブッダは自分を救えるのは自分しかいないと説く。

カンボジアなどの子どもたちと出会い、痛切に感じるのは文盲の子どもをなくしたいということ。最低でも文字さえ読めれば自分で考え判断する力が養われる。宗教ではなくブッダの哲学にほれた藤川さんは歳。今後も修行を続けながら、次世代を担う若者に新しい風を送りこみそうだ。生きとし生けるすべてのものが幸福でありますように。(インタビュー・七沢愛果)

>>この目次トップへ

[P  R]

[P  R]

[P  R]

Yahoo!ブックマークに登録Yahoo!ブックマークに登録