日本国際救急救助技術支援会・正井潔さん1949年、神戸市生まれ。市内の高校を卒業後、神戸市消防局に勤務。在籍42年間のうち、27年間にわたり救急業務に関わる。日本の国家試験である救急救命士の第1期生。2010年3月末に定年退職し、間もなくカンボジアへ。基地内で指導する隊員と共にクメール料理を食べる毎日で10キロやせたが、日本に残る夫人には「カンボジアの方が合っている」と言われる。 日本の救急技術を指導2012/2/2
プノンペン市街の西、国際空港に近いカンボジア王国軍ブリゲード(旅団)70基地内の一角で、朝8時半から軍服を着た兵士たちが救急救助の訓練を始める。女性を含む45人で構成される救急救助隊「RRC711」の隊員が、救助はしごを建物に掛けて上階に駆け上がる進入訓練。指導するのは、日本の民間非営利団体(NPO)日本国際救急救助技術支援会(JPR)の正井潔会長だ。 神戸市中央消防署に勤めていた03年、同僚からアフリカ南部ザンビアで救急支援活動をしている知人がいると聞き、名刺を渡した。その知人からアドバイスを求められたのがきっかけで、自分でも現場を見てみようと思い立ち、翌年に休暇を取ってザンビアに赴く。再訪を求められたが、1人の力に限界を感じ、全国の救急救助技術者に賛同を呼び掛ける。そして阪神・淡路大震災から10周年となる05年1月17日、JPRを設立。年に数回、休暇を取って、ほかの技術者と共にザンビアやスリランカ、インドネシアの南カリマンタン州に足を運んで救急救助技術を指導した。そして08年、インドネシアのスラバヤに支援に出掛けるようになるのと前後して、ブリゲード70の司令官、マオ・ソパン中将(当時)と知り合う。 マオ氏に「いろいろな国から資金や物資をもらっているが、技術を教えてくれるところはない。救急救助の技術を教えてほしい」と請われ、その場で支援を約束。定年退職を機に10年春にカンボジアに居を移し、本格的な支援に乗り出した。ブリゲード70の主な任務は首都防衛だが、災害派遣も重要な任務の1つ。救急救助や消防の技術を必要としていた。 正井さんは「カンボジアで本格的なレスキュー隊はここしかない」と胸を張る。プノンペン近郊の工場や家屋で火災が発生すれば、現場に急行する。「外から水をかけるだけでなく、日本のように建物の中に入り、逃げ遅れた人がいないか人命検索もする」。乾期は特に出動回数が多くなる。 ■経済特区と防災で連携 ブリゲード70基地の近隣にある、日系企業が多数入居するプノンペン経済特区(PPSEZ)で、日本企業の派遣員が脳梗塞で倒れたことがあった。正井さんは連絡を受けて直ちに駆け付け、基地内の病院に搬送。その後、派遣員は無事日本に帰国したという。カンボジアでも日本企業の進出が増えているが、周辺国と比べれば生活インフラの整備は遅れており、救急車も保有する正井さんの部隊は、日本人社会にとっても心強い。 PPSEZ内では今年早々にも診療所が開業する予定で、正井さんが中心となって、基地内にある病院から人員を派遣するなどの連携事業を開始する。現地で働く日本人、カンボジア人にとっても安心材料が増える。PPSEZ内の日系企業で、消防訓練も計画。「日系企業にも安心してもらえるようになる。火災や救急の対応に加えて防災指導なども行い、モデル地区のようにしたい」と考えている。 ■現地で指導者育成へ 活動の資金集めには苦労も。現在は財団法人の自治体国際化協会(クレア)から支援を受けて活動しているが、正井さんや短期の指導で来るボランティアの滞在費用も実質的に持ち出しの状態。支援を求めても、「軍」の看板で敬遠されることも少なくない。正井さんは「活動の中身をしっかり見極めてほしい。軍といっても銃の扱いを教えているのではなく、人の命や財産を守る救急救助技術の指導をしている」と訴える。 昨年10月、市内でタンクローリーが燃え、通りの両側の家並みに広がる火災が発生した。RRC711隊員が活躍して火を消し、市民から拍手喝采された。正井さんは「実際に出動して帰って来ると、若い隊員たちが良い顔をする。世界中のファイヤーファイターと同じように、誇りを持つようになった」と笑顔で語る。自分が手を引いた後も日本の技術がカンボジアに根付くよう、隊員から指導員候補10人を選び、1月から防災学校もスタートさせている。(ベトナム編集部・八木悠佑) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |