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高橋勝司さん:ジャスパールズ社長

「真珠のソムリエ、世界を駈ける」

「今からタヒチに行って、真珠を買い付けてこい」高橋青年は、オーストラリアで飛び込み入社した真珠取引会社のボスに、入社後いきなり言い渡された。真珠の本場である日本から来た男なら容易な仕事だろう――そんな判断のようだ。だが真珠業界は極めて特殊な業界だった。どんなに分厚い札束を積んでも、養殖場ではいちげん客はお断り。他の買付け業者はみなベテラン揃いだ。高橋青年はおそるおそる、ある養殖場に近づいてみた。
高橋勝司さん・ジャスパールズ社長

「世界の真珠はすべて神戸に集まる」と言われた時代は過ぎ、今や真珠取引は香港が舞台である。その世界舞台で特異な存在感を示しているのが、高橋氏が立ち上げたジャスパールズだ。真珠オークションの会員資格を持ち、高橋氏の愛称「ケニー」は世界的に知れ渡る。年商は数億円規模だ。若くしてパールの魅力に取りつかれた高橋氏は、その楽天的性分を生かし、「天職」を軌道に乗せた。

高橋氏が真珠ディーラーになったのは、元をたどれば、幼い頃の体験に起因すると言えるかもしれない。実家は東京の日本橋で料亭を開いていたが、祖父が趣味で宝飾品を集めていたからだ。真珠の神々しい輝きや、まろやかな手触りは、高橋氏の幼い記憶の底にいつも潜んでいた。

高橋氏は大学卒業後、真珠の貿易会社に入社したが、覇気のない上司たちを毎日目にしていると、自分の将来が見えるような気がした。「海外で活躍するには、外国企業に入るのが手っ取り早いはずだ」。そう考えて会社を辞め、無鉄砲に日本を飛び出した。英語もできなかったし、あてなど何もない。だが向かった地は、真珠の養殖場を周辺に抱え、真珠ディーラーも多く集まるオーストラリアだった。

黒真珠を3千万円で

現地のとある企業は、真珠の本場日本からきた24歳の青年を、鷹揚に迎え入れた。そしてさっそく、会社は3,000万円もの大金を持たせ、高橋氏をタヒチに送り込んだ。だが、年季の入ったベテラン買付け業者たちがせめぎ合う養殖場で、子どものような年齢の日本人など、本来入り込む余地はない。

ところが偶然、その養殖場に、日本人養殖家がいた。そこで物珍しがられ、黒真珠を3,000万円分売ってくれたという。タヒチの養殖場に日本人がいたのも、実は不思議ではなかった。真珠業界では、産業化に成功した日本に習い、尺貫法単位である「匁(もんめ)=3.75グラム」が世界的に使われるほどだ。日本人養殖家は全世界に散らばっている。

初めての買い付けに大成功した高橋氏は「若いのに必ず良質のパールを仕入れてくる日本人」と、会社に重宝がられた。そして数年もしないうちに、真珠部門の責任者になっていた。

当時は、1億円で買い付けてきたら、1億3,000万円で卸せた。「そんなに儲かるのなら、自分でやった方がいい」と、真珠の国際入札が行われる香港でついにジャスパールズとして独立した。

養殖場やバイヤーのコネクションもすべて押さえ済みだ。予想通り、初年度売り上げは10億円を超えた。業界の新生真珠ディーラーは、飛ぶ鳥を落とす勢いで業績を伸ばした。

だが2年目に落とし穴が待っていた。金融危機がアジアを襲ったからだ。真珠問屋や宝飾店の倒産が相次ぎ、売り上げは激減。さらに、円高による為替差損で大損害を被ったという。「この時ばかりは、もうダメだ、会社をたたもうと思いました」。

「死んだらあなたに返す」

幸いにも、宝飾業界は翌年から静かに持ち直していく。ジャスパールズも、レア物真珠を売りに、業界で知る人ぞ知るディーラーの地位を築き上げていった。今では香港を含め世界4カ所に拠点を構える。

確かに業界では、真珠の本場である日本人は信頼を勝ち得ている。だがジャスパールの成功は、そればかりが要因でないところに注目すべきだ。それは、真珠を心から愛し、パワーをもらうとまで言い切る高橋氏の、真珠に対する愛着だろう。「真珠の暖かみ、神秘さ、美しさが本当に好きなんです。手放したくない真珠を売る際には、顧客に『加工しないで預かっておいて』と言うんです(笑)」。自分が死んだら高橋氏に戻す、と遺言に記す顧客もいるという。

「カネ」を追いかけてはこなかったという。いい真珠を、安く顧客に買って欲しい。自分が気に入らない真珠なら、たとえ高額でも顧客に売らない主義だ。「それを自分から買ったという評判が立てば嫌ですから」。

顧客には、欧州の某大統領など、名前を聞いて驚くような顔触れが揃う。真珠を一目見れば、世界のどの養殖場が産地か判別できるという。まさに「真珠のソムリエ」である。(香港編集部・西原哲也)

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