台湾 2009年9月21日(月曜日)
【特集】震災に揺れた島〜台湾大地震から10年[社会]
死者2,400人以上、建物・インフラ崩壊など大きな被害を出した台湾大地震(921地震)から、きょう21日でちょうど10年がたった。この間に企業や学校の危機管理は進んだのか、耐震基準は改善したのか。当時の復興ボランティアや被害に遭った学校の関係者、建築・土木の専門家へのインタビューなどから探り、今、改めて地震と向き合う。


〈台湾大地震(921地震)〉1999年9月21日の午前1時47分、台湾中部の南投県集集鎮を震源として発生したマグニチュード7.3(台湾中央気象局発表)の地震。死者2,415人、負傷者1万1,306人、行方不明者29人を出す大災害となった。とくに南投県とその隣の台中県に大きな被害が出た。
地震ボランティアから結婚、そして再び台湾へ・・・
「再び来るとは思っていなかった。台湾とは縁がある」。大地震から間もなく日本からボランティアの一員として台湾に駆け付け、10年後の今、台北市で勤務する男性がいる。エレクトロニクス専門商社、三昌商事の現地法人に勤める桑村秀樹さん(33)だ。
当時、大学4年生だった桑村さんは日本のYMCAの募集に応じ、20人ほどのメンバーと南投県埔里鎮で2週間、ボランティアに取り組んだ。「台湾人留学生の女性と交際があり、台湾に行ってみたいと思っていた。決して高尚な気持ちで参加した訳ではない」と振り返る。
現地では、がれきの撤去や援助物資の配達、仮設トイレの建設などを行った。1995年の阪神・淡路大震災の被災者たちも同じく、日本からボランティアに加わっていたという。「建築資材に油の缶を使っていた建物や一階部分がぺしゃんこになった警察署などを見て、当時の台湾の建築がずさんだったことを目の当たりにした」。
活動中は充実した日々を過ごした。「日本からやって来たということで多くの人たちから感謝された。人の役に立っているのだと実感できた。もうしばらく残ってもよかったかなと思うことがある」。
その後、海外にかかわる仕事がしたいと三昌商事に入社した桑村さん。台湾での駐在歴が4年になり、「また大きな地震が来るのではないかと不安はある」と話す。
一方で、桑村さんにとり台湾は特別な場所でもある。実は妻の由樹さん(29)とは埔里鎮での活動を通じて知り合った。海外赴任が決まったのを機にプロポーズ、2児の父親となった。「いつか埔里の再生を自分の目で確かめたい。定年退職後に妻と2人で思い出の地を訪れるのも良いかもしれない」。