中国 2010年9月30日(木曜日)
【中国覚醒】第68回「ヘゲモニー争い」[経済]
当時専務だった豊田章一郎(現トヨタ自動車名誉会長)は、70年の4月に中国の卓球チームが名古屋を訪問した際(第58回「伊藤忠の遠謀(2)」)、随行した中国の貿易責任者だった王暁雲を、トヨタの名古屋工場の視察に招いている。王暁雲はトヨタの先進的な工場設備に驚き、中国の自動車業界の発展には日本の工場がモデルになると直感し、その場でトヨタの乗用車を輸入させることを決めた。トヨタもそれに対し、台湾と韓国への直接投資はしないことで応えた。
続いて日野、日産ディーゼルも乗用車やトラックの輸出を開始し、ホンダや日産、スズキ、東洋工業(後のマツダ)も周4条件の受諾を表明。自動車業界も一気に中国に傾斜していった。
■ある団体の訪中
実は、周恩来が三菱3首脳に会ったちょうど同じ日に、もうひとつ重要な日本の経済ミッションが北京入りしている。「中国アジア貿易構造研究センター」という経済団体である。
新日鉄の稲山嘉寛社長が団長で、富士銀行の岩佐凱実会長、日立製作所の駒井健一郎会長、出光興産の出光計助会長、三井物産の水上達三相談役、住友銀行の堀田正三会長などのそうそうたるメンバーで、間近に迫っていた「国交正常化の後の日中貿易の在り方や拡大の方向を探ること」が目的とされた。稲山は「中国が日本に何を期待しているのか、日本はどんな分野で協力できるのかを調査してきたい」と述べ、日本を発っていた。
しかし稲山が話したその“目的”は、漠然としているので、背景を説明する必要がある。「日本外交と中国」などによると、この研究センターは、国貿促の専務理事だった田中脩二郎(第25回「友好貿易」)が、財界リーダーを入れて日中関係を研究する役割を担うよう構想した組織だった。田中は70年ごろ、この組織を国貿促の内部に設立しようとしたが、まだ台湾とのつながりが太い財界リーダーが多いことを嫌う層が国貿促に多く、内部反発にあったという。
そこで田中は新日鉄や富士銀、住友銀などが出資した資金をもとに、同研究センターを正式に設立し、自らは仕方なく国貿促を退会した。一方、国貿促は、その機関誌「国際貿易」(71年7月27日付)で「研究センターは国貿促とは無関係」とあえて断罪してみせた。両者の関係が切れたわけだ。
つまり田中が設立した研究センターの訪中ミッションは、筋金入りの左派だった国貿促に対抗する窓口機関としての役割を探りに行ったもの、といえるのだ。表向きは「日本と中国の経済協力分野の調査」という漠然としたものだったのはそのためだろう。
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また、国交が正常化するとその歴史的役割を終えるMT貿易(覚書貿易)事務所も、国貿促に対して不安を抱いていた。MT貿易の中心メンバーだった岡崎嘉平太や渡辺弥栄司などは、「国交が正常化した後の日中関係の窓口機関を、国貿促に任せることはできない。新しい組織が必要だ」と考えていた。そこで元通産官僚だった渡辺が仲介し、通産省管轄の経済団体を新たに設立することになった。
そこで、稲山が率いた研究センターの訪中ミッションが帰国すると、「研究センター」と「MT貿易事務所」を発展的に解消し、両者を統合させるような形で、11月に通産省が関与した「日中経済協会」が設立されることになった(初代の代表理事には、稲山が就任した)。
するともうひとつ、別の動きが現れた。日中経済協会が発足したのと同じ頃、今度は経団連が主導して、「日中経済協力委員会」を設立しようとしたのだ。親台湾の日華経済協力委、親韓国の日韓経済協力委の中国版である。
これを推し進めようとした中心人物が、経団連会長の植村甲午郎や、新日鉄会長で日本商工会会頭の永野重雄だった。中国から石油資源を輸入する窓口機関を作るというのが目的だったが、日中関係の融和が決定的になった途端、どの団体が中国向けの主導権を握るかというヘゲモニー争いが展開されたのは興味深い。また新日鉄は、社長と会長でそのスタンスが割れるという異色の展開になっていたわけだ。
ただし、中国側が国交回復後の窓口機関を「日中経済協会」と認め、「日中経済協力委員会」は必要なしとしたため、ヘゲモニー争いは必然的に終息した。ちなみに、現在でも、国貿促や日中経済協会は存続している。(北京の長富宮飯店にある日中経協の事務所を訪れると、LT貿易時代の「日本高碕事務所(TAKASAKI OFFICE)」と「日中覚書貿易事務所」の2つの金属製看板が展示されている)。
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実は先に言及した研究センターの稲山ミッションの時に、重要な契約が中国側と調印されている。鉄鋼と肥料の長期輸出契約である。日本は中国から鉱産物、繊維、工芸品、農水産品を輸出し、中国は石油を輸出するというものだ。1958年の長崎国旗事件の影響で、日本長期鉄鋼貿易協定(第19回「長崎国旗事件」)が破棄されてしまって以来、14年ぶりの大型貿易契約が、国交回復直前にまとまったのだった。(敬称略・続く)
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