タイ  2011年2月17日(木曜日)
【タイ政治社会の潮流】政治と宗教(仏教) :「サンティアソーク」の動き[政治]

第91回

このところのプレア・ビヒア寺院(タイ名、カオ・プラウィハーン)の領有をめぐるタイとカンボジアの間の軍事衝突事件は、解決の糸口が見つからず、長引きそうである。もちろん、国境問題一般がそうであるように、長い歴史を持った両国間の懸案事項であるだけに、短期間での解決は望めない。問題は、むしろ、この衝突事件が国内状況に及ぼす影響である。外務大臣が国連の安保理の会合に向かうなど、アピシット政権が対策に躍起になっているのも、どちらかといえば国内向けといえるであろう。

というのも、ここに来てひとつの奇妙な状況が生じつつあるからだ。いわゆる赤シャツ組(タックシン派、UDD反独裁民主戦線)と鋭く対立してきた黄シャツ組(反タックシン派)の代表格であるPAD(民主主義のための国民連合)の姿勢である。あれほどアピシット政権を支持していたPADが、自派系の者がカンボジアへの不法侵入で逮捕された昨年末ぐらいから矛先を変え、アピシット政権の対カンボジア外交を弱腰と痛烈に批判し、政権打倒運動を展開し始めたのである。

それにより、UDDとPADの抗議集会は別々であるが、目標は同じという状況を呈してきている。呉越同舟の変形のようなものと考えればいいかもしれない。早期の総選挙実施の環境作りを進めているアピシット政権にとって、国内の治安を脅かしかねないPADの抗議運動は厄介な存在になりつつある。

政府の対カンボジア弱腰外交に対するPADの大規模抗議集会は1月25日にも開かれたが、本来的な狙いは、国民の根強い隣国カンボジアに対する反感情に火をつけ、自派の政治勢力を拡大することにあるようだ。ただ、よく知られているように、PADという運動体の核に存在するのは「サンティアソーク」と称される宗教団体である。抗議集会に駆り出されるのは、多くはその信徒である。集会のリーダーは元バンコク市長で熱心な信徒のチャムローン・シームアン(1935〜)であるが、その背後にはこの集団の指導者であるポーティラック師(1934〜)が控えている。

このポーティラックが主宰する「サンティアソーク」は、タイ宗教界ではきわめて異色の存在である。都市中間層に信徒が多いが、伝統的な仏教儀礼や護符などを強く批判し、戒律の厳格な実践を要求している。在家の信徒といえども、消費文化から離れ菜食や1日1食などの質素な自給自足的集団修養生活を送っている。高校や大学なども付設され、教育普及活動も行なっているという。

問題はポーティラックという個性にあり、痛烈なサンガ(上座仏教の合法的仏教僧団)批判などの言動で1989年に強制還俗された経歴を有する。つまり、タイ社会では仏教僧侶とはみなされない存在である。着用している袈裟の色も異なっている。憲法が保障している宗教の自由に則る宗教集団の主宰者に過ぎない。にもかかわらず、その原始仏教への回帰志向と指導力が、現代化が進行する社会についていけない市民を惹きつけるのである。

ポーティラックの理論のひとつで、伝統的サンガと真向こうから対立するのが、仏教と政治の関係である。世俗社会から離脱した存在である僧侶は納税義務や兵役も免除されるが、選挙権も無く政治に関与しないのがルールである。

しかし、ポーティラックは、政治運動は仏陀の教えであると主張する。「政治は出世間法(ロークットタラタム)であり、俗世法(ローキヤタム)ではない。だからサンティアソークの徒は公然と政治活動に関与するのである」と説明する。政治は自分、家族、仲間のためのみのものではなく、人類社会全体のためのものである。仏教徒が到達に奮励努力しなければならない最高の類の価値である。そこに到達すれば、仏教型の民主主義が実現するであろう。それこそが、政治の因果である、という。

あきらかに仏陀のバーラナシーの鹿野苑での初転法輪の説法を引いてきている。しかし、仏教関係者に言わせれば、ポーティラックの論法は仏陀の我田引水であり、「出世間」どころか、「煩悩(世俗)の塊」そのものの考えであると強く批判する。

これまでに政治に直接関与した僧侶の例としては、1970年代の左右対立の中で右翼暴力集団のナワポンやクラティンデーンを、「共産主義者の殺害は悪業ではない」と擁護したキッティウットー師(1936〜2005)が頭に浮かぶぐらいである。今日でも、仏教の政治関与を積極的に肯定するポーティラック派のような考えは少数に留まっているが、大きな社会変動の際には、表面化しないまでも、仏教関係者による政治活動が生じる可能性を考えておいてもいいかもしれない。それは、政治経済状況はまったく異なっているとはいえ、同じように政治との距離を置く上座部仏教が一般である隣国のミャンマーにおける2007年の大規模な僧侶による反政府デモを知っているからでもある。

<筆者紹介>

赤木攻(あかぎ・おさむ)大阪外国語大学名誉教授

大阪外国語大卒業後、タイの国立チュラロンコン大に留学。大阪外国語大教授を経て、1999年同大学長に就任。2004年から、東京国際交流館館長、東京外国語大学特任教授などを歴任。

専門は東南アジア地域研究、タイ政治・社会論。プミポン国王のベストセラーの日本語版「奇跡の名犬物語」の翻訳も手掛けた。1944年、岡山県新見市生まれ。

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